いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】複製された男:原題「ENEMY」

大学の歴史教師として生計を立てるアダムは、ある日奇妙な映画を目にする。筋書きがおかしいのではない。劇中、自分にそっくりな俳優が出てくるのだ。ネットや他の出演作を調べていくうちに、相手は身ごもの妻をもつアンソニーという名の三流役者だと知ったアダム。直接コンタクトをとることになったが2人に、思いも寄らぬ展開が待ち受けていた。


監督のドゥニ・ヴィルヌーブが、『プリズナーズ』を手がけた監督でもあると知ると少し意外な気がするのは、あの作品が複数の人物の心理が交錯し、極めて具象的だったからだろうか。本作は、1人の男の内省を螺旋構造で掘り下げていくタイプで、黄砂に覆われた北京のような色合いの世界には、心なしか非現実感が漂う。
実際映画は非現実的な話ではあるが、その背景に仄めかされているのは、きわめて現実に起こり問題だ。


この映画、2人の関係が何を言わんとしているかがストンと腑に落ちた鑑賞者は、意外とわかりやすいかもしれない。ただ、「複製された男」という邦題に漂うSFチックなイメージはややミスリードでもあり、その「ストン」が来なかった人は最後のシーンをみてもキョトンとするだけかもしれない。そんな映画だ。ぼくはその中間で、世にも稀な公式サイトのネタバレページで理解した、そんな感じ。どちらにせよ、猛烈に再鑑賞したくなることは請け合い。

映画冒頭で提示される「Chaos is order yet undeciphered」(カオスは未解読の秩序である)という言葉が示すように、劇中は謎に満ちたシーンや、不自然な繰り返しが続く。また、観念の水準や象徴の水準で何度もある同じイメージが繰り返され、それが最後のシーンに結実する。映画中に「おや?」と感じるとっかかりがあるとすれば、まさにそれが謎を解く鍵でなのかもしれない(現にぼくはそうだった)。約90分間、神経を尖らせてみなければならない、中々骨の折れる鑑賞体験だ。