いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】藁の盾 ★★★★☆

日本のフィクサーの孫娘が惨殺され、その容疑者として以前にも幼女を殺し服役した経歴のある男が浮上。フィクサーはその男の首に10億円の懸賞金をかけるという広告を全国紙の新聞にでかでかと掲載し、ネット上にもメッセージを公開した。
本作『藁の盾』は、いわば「一億総バウンティハンター化」した日本の中で、はたしてどのようなことが起こるかを想定した「シミュレーション」として見て取ることができる。幼女を2度も惨殺した擁護しようがない最低な男(藤原竜也)を、北九州から警視庁まで護送するという危険な任務が、警視庁警護課に所属する銘苅(大沢たかお)に言い渡される。


本作をあえて難しい言葉で説明するならば、近代以前にあった「仇討」(復讐)の是非を問うているように思えた。いうまでもなく、現代では愛する人を殺されたからといって殺した相手を殺すことは罪になる。相手の命に懸賞金をかけることも罪であるし、懸賞金がかかっていたからといって人を傷つけることも罪である。どんなに卑劣であろうと、結果的に死刑になる罪人であろうと、法の下で裁かれなければならない。「私刑」は許されていないのだ。

ちなみに、以前も紹介したかもだが、評論家の呉智英が朝生に出演して、死刑制度についてスパークしたときの面白い動画がこちら。死刑、仇討について考える際に一見する価値がある。

話を映画に戻す。
先述したとおり仇討、復讐は現代社会では許されていない。けれど、もしそのターゲットが、これ以上にない最低の部類の人間で、なおかつ再犯の恐れ(実際、性犯罪は他の犯罪より再犯率が高いという話は有名)があるならばどうか。さらに、その男の命と引き換えに人生が変わるほどの大金が手に入るとしたら…。本作は、近代的な法治国家である(はずの)日本を、一時的な「例外状態」に陥れたときに何が起きるのかを描いているように思えた。


10億円に目がくらんだ人々と、殺人犯を警護する側の人間たち双方が傷つき死んでいく。その中でも人の命と引き換えに無傷でいられ、しかもその状況を面白がっているクズ野郎(本作では何度も彼はこう罵倒される)に、守る価値はあるのか。主人公銘苅はその葛藤にさいなまれていく。
銘苅を踏みとどまらせているのは、なけなしの「法治主義」、などという大仰なものでなく、ささやかな「与えられた任務への責任」でしかない。
これと関連するのは、途中で突然出てきたトリックスター的な余貴美子のタクシー運転手だ。疑心暗鬼が全編を覆う本作で、和むシーンはこの一か所だけといっていいが、目先の利益にとらわれず自分に与えられた仕事をきっちりやるという思想が、この映画には通底している。


松嶋菜々子の「エリート」巡査部長がエリートのくせにアホすぎるのと、藤原竜也がいつもどおりすぎるなどいろいろあるが、憂いに満ちた大沢たかおが最後の絶叫で全てもっていったのでよしとする。岸谷五郎と本田博太郎がセリフためすぎだろとか笑いそうになったが、これもよし。山崎努の素なのかワザとなのかわからないヨボヨボ演技もキワどすぎてよかった。三國さんも天に召されましたし、ご自愛ください。

最後、エンドロールになってから本編となんら関連のない、妙にアゴの出た歌い方をする歌声が悪い意味で印象的だったのだが、邦画ってどうして最後の音楽ですべてを台無しにしたがるのだろう。


※追記
逆に、仇討ちの認められていた時代の清々しい仇討ち、復讐劇が観られるのがタランティーノ『ジャンゴ』で、この映画の最後にモヤモヤした人は、公開が終わる前に駆けこむことを勧めたい。