いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

利益至上主義によってもたらされたアメリカの医療ディストピア〜マイケル・ムーア『シッコ』批評〜

アメリカには国民介保険の制度がなく、今も多くの末加入者がいるという事実は、日本でも「消えた年金」騒動のときに少し話題になった。マイケル・ムーアは本作『シッコ』で、こうしたアメリカの医療保険の問題に焦点を当てる。

しかし、この映画のもっとも大きくとりあげるのは、「保険に加入していない(できない)人」の問題ではない。それもテーマの一部だが、「病巣」はもっと深い。今回ムーアがカメラを向けるアメリカの「医療問題」は、むしろ加入者にふりかかるそれだ。
本作は、利益至上主義にかたむき、加入者を助けないシステムになってしまったアメリカの民間医療保険の問題に焦点を当てている。この映画が映す保険会社のやり口は卑劣だ。加入者がいざ疾病を患い、いざ保険を利用しようとしても、契約書類のさまざま記入漏れや過去の疾病の記録漏れなどをめざとく見つけ、その契約の不履行を冷酷に言い渡す。どうもこれを観ていると、アメリカの民間保険会社というのは、最初から加入者にお金を払う気がないようだ。大げさでなくそんな気さえしてくる。

ムーアは様々な当事者にインタビューしていくことで、問題を浮き彫りにしていく。こうしたドキュメンターは、ともすればプロパガンダになってしまう危険がある。とくに本作では、「加害者」より「被害者」へのインタビューが比重がつよい。つまり「弱者が訴えかける」映画なのだ。「社会主義になってしまう!」と国民介保険の制度成立を阻止するために国民の不安をあおる目的で作られたかつてのプロパガンダ映像が引用されているが、感情に訴えかけるという意味では本作も大差ない。
けれど、マイケル・ムーアの作品には、どこかそれを中和するユーモアもある。重苦しい問題だからそれを扱う映画も重苦しくなくちゃいけない――彼はそんなドキュメンタリの不文律の外側で映画を撮っている。

母国の保健医療のひどい有様をみるにつけ、マイケル・ムーアはお隣カナダを皮切りに、イギリス、フランス、さらにはアメリカの目の敵にする共産圏のキューバにまで足を運び、各国の医療保険制度を見分していく。そこには、自国アメリカの政治家がうそぶいていたような医師不足などの問題はどこにもない。むしろアメリカと比べれば天と地ほどの差のある医療天国があったのだ。


終盤、9.11で救助活動に参加して呼吸器系疾患や精神疾患を煩った人たちを連れ、ムーアはアメリカで唯一、医療費が無料というふれこみのグアンタナモアメリカ軍基地に赴く。彼らは国の非常事態を察知し、いちはやくグラウンドゼロに駆け付け救助活動に従事した末に疾病を患った。にもかかわらず、国から「彼らは政府の職員でなく彼らの責任までは終えない」と突っぱねられた人々なのだ。国民が非常事態だからこそ常時の立場を越権してふるまったにもかかわらず、国家はその行為に報いることなく、常時にあった原則を崩そうとしないのだ。
ムーアはグアンタナモの基地に向け、船上からスピーカーで彼ら彼女らの治療を訴える。しかし彼の訴えは、相手の心を響かせぬまま、むなしくも虚空に吸い込まれていく。

個人的には、ゴルフカートの中でインタビューに答えていたカナダ人のおじいちゃんの言葉が、素朴ながら、いや、素朴であるが故にもっとも心に残った。

ムーア 不思議なんだが、他のカナダ人から文句はで出ないんですか?アカの他人のけがの治療に、自分たちの税金が使われているのに。
おじいちゃん それは、お互い様だからだよ。このやりかたでやってきたし、これからも続くといいと思っている。
ムーア 自分の治療費だけ払えばいい。自分は自分、他人は他人という制度だったら?
おじいちゃん そうなると自力で払えない人が大勢出てくる。誰かが面倒をみないと
ムーア もしかしてあなたは社会党員?
おじいちゃん いやちがうよ。
ムーア グリーン党?
おじいちゃん いや、ちがう。わたしは保守党の党員だ。まずいか?(笑)
ムーア …ちょっと混乱している。。
おじいちゃん そうか。単純なことなんだがね。ことカナダではどの政党に属していても、属していなくても、関係ない。そういうことだ。


先月末に、オバマ政権下で成立した医療制度改革法案が、連邦最高裁判所で合憲と判断された。これから、かの国の医療制度はドラスティックに変わるかもしれないし変わらないかもしれない。ともかく一度おさらいしておく上で、今観ておく価値は十分にあるだろう。