いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「レポートはwikipediaのコピペでいいか」←よかねーよ

「レポート コピペ」でtwitter内検索まとめ - Togetter
「コピペやろうかな(笑)」みたいな願望の吐露や、話半分みたいなこともあるんでしょうが、それを考慮しても唖然とはしますよね…。


この一覧を読んでてふと気づいたのは、全体的に「コピペを駆使して自分がいかに効率的に単位をとれたか」というのを誇らしげに語るムードが漂っているところ、なんですよね。その事例がこちら。

事例1 フランスのレポート30分で終わったww コピペしかしてないww あとは音楽か・・・

事例2 レポートもうちょっとや(´Д` ) コピペ最強w

事例3 レポートなんてコピペしてなんぼだで。そう考えたら感想文より楽な気がしなくもない

つまり、どれだけ労せずして、どれだけ楽をして単位を取れるか、という話なんですよ。この人達にとってはそれが重要事なわけです。
でも、当たり前ながらそれは本末転倒ですよね。


大学史や学校史にくわしいわけではないですが、普通に考えれば、まず最初に「学ぶべきこと」があって、各学生の学習の進行状況を管理するために都合上「単位」という数値化が生まれてきたわけですよね? 単位が最初にあったわけではない。そのおさらいとして、自分で考え自分の力でレポートにまとめることに意味があるわけであって、単位そのものには価値がないわけです。

でも、上のトゥギャッターに晒されている人たちはそうは思わない。単位を取る事自体が目的なわけです。
これを形式の自己目的化と呼ばずして、なんといいましょう。


まぁ、ぼくも含め大多数の「いまどきの大学生」は、そもそも大学に入ったこと自体が、就職するという目的のための手段だった疑いがあり、あまりエラそうなことは言えませんが。たしかに、高等教育というものそのものが限りなく形式化しているってことは否めないですが、なによりマズいと思ったのは、20歳そこらの彼らがその構造のワナに気づかず、むしろその上に思う存分に乗っかっているってことです。


また、ここにはまた別の要因もあるような気もします。いわゆる大学全入時代に突入し、正攻法にレポートを書く能力(論理的な長文を書く能力、聞いたことをまとめる能力)のない学生が、かりにも高等教育機関に区分される大学に入りはじめているのではないか? コピペレポートがもし増加しているとすれば、その兆候なのかもしれません。

ちなみに大学の先生に聞くと、コピペレポートはすぐわかってしまうそうです。文体ってもんがありますから。メール提出なんかだと、教官側もデータからコピペしてワンクリックでググれるというのは、なんとも皮肉な話ですが。


いっそ、レポートをあえて手書きにするという手はどうでしょうか? それでもコピペするという学生もいるかもですが(ここまできたら執念ですね……)、そういう人もコピペの文章を自分の手で書き写さないと始まらないわけで、ワンクリックで簡単にできてしまう現状よりはましでしょう。
なにより、手書きには一つメリットがあります。
彼ら彼女達にはいずれ就活が待っています。就活は、やたらと「手書きであること」が重宝される業界です。その予行演習として、「手で書くレポート」がうってつけなんじゃないかと。