いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

特殊例をプッシュすることで問題の焦点がぼやける例

返済義務がある日本の奨学金制度の問題点をみとめることについてやぶさかではないし、そもそも日本の大学の学費は国際的にも高い。そういった点から奨学金の滞納は「自己責任」といいたいわけではないのだが…。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20130905/CK2013090502000134.html

この記事の中であげられている具体例が、なんともモヤモヤさせられるもので。

この25歳の男性、高校卒業後にアニメの専門学校に入学し、奨学金を借りたという。しかし、父親の借金の返済に回さざるを得なくなり、学校を退学。アルバイト先も閉店し、さらに父親が男性の名義でも百万以上借金していたことが発覚。弁護士に相談したうえで自己破産し、その父親も亡くなった現在は、男性は生活保護を受けながら仕事を探しているという。


記事は男性の「奨学金に人生を狂わされた」という言葉を紹介し、つぎの段落で「こうした事例」としてあたかも全体のごく一般的な一例のようにまとめて、淡々と続いていく。
しかし贔屓目に見ても、この事例はちょっと特殊ではないだろうか。
読んでいると「たとえアニメーターになれたとしても奨学金返せたの?」や、「息子の奨学金を借金返済にあてるのって親としてどうなの?」だとか、「つか、この父親酷すぎね?」だとか、あるいは「これらをぜんぶ奨学金のせいにする、だと?」といったツッコミの入れようがある。問題は、そのようなツッコミようのある特殊例を数多ある事例の中からわざわざ取り上げることで、かえって問題の焦点をボカしてしまっている恐れがあるということだ。


たしかに奨学生の増加は看過できないところがあって、ぼくが大学に入った04年当時よりもあきらかに増えており、実際2010年の日本学生支援機構の統計によると、約半数の学生が受給しているそうだ。
知り合いの大学生にも、このままいくと新車が買えるくらいの借金を背負って社会人としてスタートラインに立つという人も少なくない。よく考えたらこれは凄まじいことだ。就職がマストであり、たとえ就けたとしても下手に退職できない。こんな特殊例でなくても、「奨学金の滞納」は立派な「社会問題」になりつつあるのだ。
であるがゆえに、この記事のようなきわめて特殊な、共感しがたい側面を含んだ事例を挙げることに対して、疑問を持つ。正直、後半の専門の弁護士の話や、統計による説明のほうが、よっぽど誠実に感じる。


この記者と取材対象者がどのようなプロセスで遭遇したのかは知らない。取材しているうちに、情がわいてとりあげてあげたくなったのかもしれない。また「犬が人を噛むより、人が犬を噛むニュースの方がウケる」という、メディア人特有の嗅覚がはたらいたのかもしれない。

深刻な例をあげてこの問題を広く世に問いたいという意気込みがあったのかもしれないが、かえって問題の焦点をボカしてしまっているようにみえて、残念。