いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

“視線のすれ違い”があるところにこそ相思相愛があるじゃないだろか仮説

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好きな人を“見る男性”と“見ない女性”


職場や学校など、ある特定の共同体内で男が片思いをしている場合、たいていそれは視線の方向によってわかる。要はその対象となる人を穴があくほど、とことん見るのである。相手の子の一挙手一投足を、ああかわゆいな、きれいだな好きだなと、目で見て愛でて楽しむのだ。
キモイと罵るな、たぶんみんなそれをやってるんだから。


しかしこの習性みたいなものが、女の子に対してもそのまま適応するのかというと、そうではない。それを最近女の子から聞いて思った。


女の子に片思いの相手がいる場合、それは相手を「見ない」という行動で表れる。もちろん見たくないことはないだろうけれど、ジロジロ相手を見てしまうと下手すれば自分が好きなことを相手にバレてしまうかもしれない。そういった恐れから、逆に相手のことを不自然なほど見ないという習性になって具現化するというのだ。


ここらへん、もちろん男にも自分の恋慕を相手に悟られることを恐れるという人もいるが(ぜーんぜん恐れない人もいる)、端的に言えば「好きな人をながめたい」という欲求が、「好きなことがバレる」ことへの恐怖心に勝ってしまうのだ。恋愛に限らず、「対象に視線を送る自分」も実は見られる対象になりうるということに鈍感なのは、概して男の側である。

2つの“視線ルール”があるから、ややこしい


ここで僕は、「片思いの相手への視線の送り方」をめぐって男と女のそれのどちらが正当かを、争いたいわけではない。ただここで言えるのは、「好きな人を見たいから見る」というルールと、「好きな人だからこそ見ない(見れない)」というルールのふたつがあるということ、それだけだ。ここでは都合上、前者をタイプA、後者をタイプBとしたい。


片思い中の人間にとっての問題は「ではその対象は自分のことをどう思っているか」、この一点である。
タイプAのルールを生きる人間、その大多数は男というわけだけれど、その人たちだけの世界なら、それはとってもわかりやすい世界になるだろう。もしそうならば、「自分を必要以上に見てくる人」は、おそらくあなたに好意を寄せているからだ。つまり、好きな相手の視線と自分の視線が、それも頻繁にぶつかれば、それはもう「相思相愛」の証拠となる。


でもそうはいかないのである。タイプAのルールを守る人にとって事態をややこしくするのは、タイプBルール適用者の存在だ。
以前、笑福亭笑瓶が話していた。飲み会か何かで、長いテーブルの向こうの方に座っている女の子が、ちらちら彼の方を見ていたというのだ。最初はたまたまだろうと思っていたが、視線の交わす回数があまりに多かったため舞い上がり、会の終了後、その子に声をかけてみたらまったくつれなかった、というのだ。要は勘違い。


これに似た経験をしたというのも、タイプAを生きる人たちの中には多いのではないか。そういう人はきっと、こう思うはずだ。「なんだよ、そんなジロジロ見られたらなんかあると思うじゃんか」、と。これに対してタイプBを生きる人は、「別にあんたの方見たからって、なんであんたのこと好きなことになんなきゃいけないのよ」と言いたくもなるはずで、いや、まったくその通りです。

TSUNAMI

TSUNAMI

視線問題は女性の方がめんどくさい


さて、問題は女の子にとってでありそれは、タイプAを使って自分に好意を寄せているのが明らかな人がいて、肝心のあなたはその人にまったく興味ないしこれからさきも好きになる予定はない、という場合だ。

さあこの場合の理想は、デートや告白などのめんどくさいプロセスをすべてショートカットして、相手に「興味ないですよー」ということを暗に示し、自分の視界からさっさと消えていただくというものだろう。しかしその場合、意識的に自分にとっての「好意を抱いていない証」でもあるタイプBをしないということ。つまり「相手を見ない」をしない、すなわち「適当に相手を見る」という行動にでるべきだろうか。


いやこれはリスキーなのである。なぜなら笑瓶の例が示すとおり、タイプAを生きる男は、女だって同じルールで生きている、と考えている可能性が高いからである。まして、あなたが心を動かされないような、「まったく興味ないし、これからさきも好きになる予定はない」という男である。その手のルールに疎いことは必須だ。
この場合、あなたがタイプAを装うことは逆効果、文字通り相手の恋の炎に油を注ぐだけだ。


では、単に相手のことを見ないのがよいのか。つまりその人に対してタイプBを使っておく、ということになるか。

いやこれもリスクがないわけではない。なぜなら、「好きな人だからこそ見ない(見れない)」というタイプBのルールを相手がすでに知っている場合、つまり「なるほどなるほど、俺の方をこんなにも見ないということは、こりゃきっと俺に惚れてるな」というだいぶぶっ飛んだ論理を構築するお方もいる可能性があるのだ。
だからタイプBの、というかタイプAを生きる人にせまられる可能性が高い人たちは、すごく難しい視線の舵取りをせまられているということになる。

視線が合わないからってあきらめないで!(真矢みき風に)


しかし反対にタイプAを生きる人、特に男に対して僕は思うのだ。好きな子をいくら見つめても、相手の視線とかち合わないとお嘆きの男たちよ、希望を捨てるなよと。
なぜならそれは、好きな相手にタイプAを適用しているあなたと同じように、もしかすると相手の子もタイプBすなわち、「好きな人だからこそ見ない(見れない)」のルールを、今まさにあなたに適用している真っ最中なのかもしれないからだ。そうまさに、双方向の片思い、相思相愛の恋愛は「視線のすれ違い」の裏にこそ隠されているかもしれないのだ。


ま、路肩の犬のふんをそばにしゃがんでまでまじまじと眺める人がそう多くはないように、「ただ見られてないだけ」の場合あるけどねー。というか、その可能性の方がずっと高い。