例えばあなたが、友人と飯を食いながらこんな話を聞いたとする。その人の知り合いAくん(♂)とBちゃん(♀)の話。
二人は大学時代のサークルの友達で、仲もよいがそれは世間一般でいうところの「仲」であって、決して「男女の仲」ではない。そんななか、Aくんはある悩みを抱えていた。サークルのOBとOGという一友達にすぎないけれど、それを知った世話焼きなBちゃんは、わざわざ平日の夜、憂さ晴らしをかねて二人っきりで飲もうよと、Aくんを誘った。
居酒屋でのさし飲み。酒を片手に悩みを吐きだすAくん。それをうんうんとうなずきながら聞いてあげるBちゃん。時間が経ち、Bちゃんは明日も仕事あるからそろそろ帰ろうか、ということになった。
会計をすまし店を出たあと、Aくんは言った。
「帰りたくない」、と。
実際に僕はここで、その話し手の話をあわてて遮って聞いてしまったのである。
「ちょっとごめん!それってもしかして、<怖い話>?」
、と。
ふつう怖い話というと、心霊体験とか都市伝説などの超現実的なもののことを指すのだろうけれど、僕がわざわざギュメを使ってまで表現する<怖い話>の「怖い」とは、それらとはちょっと違う。ちょっと違うのだけれど、とっさに僕の口から出たのは紛れもなく「怖い」であるし、後から考えても「怖い」ほどこの感覚を的確な言い表し得る言葉はないようにも、思う。
あの「怖い」の感覚を言語化するのはひどく難しそうなのだけれど、あえてそれに挑戦するならば、おそらく僕の「怖い」と思ったその「怖さ」の源泉には、男が「男」として「女」を誘い、女が「女」として「男」の誘いを受け入れる瞬間、あるいは女が「女」としてそれを明確に拒んだ瞬間に対しての怖さが、あるのだと思う。
Aくんの「帰りたくない」という言葉。二人っきりだ。この後の話の展開からすると、この「帰りたくない」というのはBちゃんを引き留めていると予測でき、Bちゃんを夜遅くまで引き留めるってことはそれなりのことをAくんはBちゃんに要求しているのか!?と、僕の脳内はそこまで勝手に予想して、勝手に怖がっていたのである。
しかし、結局話の続きを聞くと「そういうこと」ではなく、単に気持ちの沈んだAくんが家に帰りたくなかったらしく、そんな彼をBちゃんはなだめてから別れ、一人で帰宅したらしいのだ。
「男はケモノ」かどうかは知らないけれど、僕は別にこの話でBちゃんの側に同一化してAくんの「豹変」に恐怖したのではないと思う。Aくんが「男」になるのと同じくらいに、拒否しようと拒否しまい(あえて言えば「拒否しなかった」方が怖い)とそのBちゃんの「女」になる瞬間を想像して怖いのだ。
この話には一般的な「怖い話」と同じでオチに向かうまでにフリが必要なのだけれど、このAくんとBちゃんの話には、僕に聞かせてくれた話し手の意図しないところで、立派な「フリ」が効いてしまっていた。それは“「男女の仲」ではない”、という部分だ。同じサークルで数年間思い出を共有した、男女分け隔てのない「仲間」。そもそもはお互いを「男」と、「女」と見ていなかったはずなのに、ワンナイトラブ的にそこで「男女の仲」になってしまう。そのことに戦慄したわけだ。
それは「性的であってはならないところに性が紛れ込んでくる恐怖」とでも言えるだろうか。なんかそれって、両親のセックスに対する恐怖に似ているような気がする。自分で言うのも何だが、少々過敏すぎる。
そんな僕は立派な草食系男子なんでしょうね、ブヒブヒ。
と、そんなこんなで、現代人はいろいろ「怖い」ものがある。
女子の中にはかの「イケメン」さえも怖がってしまうお人もいるとかいないとか。
そう、例の「イケメン怖い」だ。
てなわけで、こんなイベントが近々あります。
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と、しれっと告知を挟んでしまう僕が、一番「怖い」のだろうか?