いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

感情移入または同一化についての覚え書き


感情移入とか同一化というものがある。よく映画やテレビドラマやマンガなどで、ある登場人物の心情などに、観客や視聴者、読者が「感情移入した」、「同一化した」というあれである。基本的に同じような意味で使われるこの感情移入と同一化なのだけれども、最近マンガ評論を読んでいて遡行的に映画的技法である「ショット・リバースショット」にたどりついた。

これは、ある登場人物が視ているものをカメラが捉えその直後に、その対象を視ているその人物本人の顔へショットが180°反転する(リバースする)という技法だ。例えば、今日僕は夕方にフジテレビで再放送されていた「救命病棟24時」をボケーっと視ていたのだけれど、その中にこんなシーンがあった。
入院していた少女が突然発作に襲われる。駆けつける医師、看護師たち。その様子をカメラは隣のベットのある位置から撮るのだけれど、その直後に、心配そうにその少女を見守るもう一人の青年の表情が、今度は少女のいる方向から写される。これが一般的な「ショット・リバースショット」だ。このあともう一度、今度はその青年の肩越しに少女を見る視点に戻ったりすると、さらにこの技法の効果は上がる。

大抵の批評はこの「ショット・リバースショット」によってマンガが、「読者をその登場人物に対して同一化させる効果がある」、というようなニュアンスで書いているのであるが、そこに僕は毎度のことながら疎外感を感じてしまう。


だって僕、フィクションの登場人物に感情移入も同一化もしたことないんだもん。


映画やテレビ、マンガで泣いた経験は皆無。巷には、観客が「感情移入した!」とわめく、あのくだらない映画のCMが横行している中、ただでさえ疎外感を感じているのに、学術書においても技法的に同一化が達成されうるとされては、僕が冷徹人間みたいではないか。さっきのドラマのショット・リバースショットにしろ、それによってシーンがその青年を中心に回っているということは判断できたが、その青年の状況や内面に対して、僕が同一化していたとは到底言えない。

それよか、ショット・リバースショットとは、映像の(あるいはマンガのコマの)「メタメッセージ」であると捉えた方が、よっぽどわかりやすいのではないだろうか。そしてショット・リバースショットという技法の指すそのメタメッセージとは、「今の場面ではその人の心情に焦点が当てられてますよ」というそれだ。そしてさらにいえば、そのメタメッセージを受けて視る者が「感情移入するかどうかは、その人の勝手」なのだ。


同一化は精神分析の用語でもあり、それと感情移入が同義のように使われているのは問題があるし、ショット・リバースショットによって生まれる効果として“感情”移入が挙げられることにも、語弊があると思うのだ。