というわけで連載の再開を年明けに控え、ハンターハンターの新刊が今日発売になるわけだ。
- 作者: 冨樫義博
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/12/25
- メディア: コミック
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書いた後で「あれは好きなマンガが読めないいらだちだ」っていう意見ももらったけれど、マンガ家を含むクリエーターと呼ばれるような職種全般を見渡してみて、同業者ならまだしも利害の直接関係ない消費者からダイレクトに非難されるのは、マンガ家をおいて他にないのではないだろうか。それぐらい例外的だ。そこにはやはり、誰でもマンガが描けるようになって、作家と読者の差違が縮まっていったという結果が見え隠れする。そういう人たちについては、マンガ家に対しての「俺だって描けるのに」というある種潜在的な侮蔑に似た感情がなければ説明できないんじゃないだろうか。もちろんそれは、マンガ家が読者に「より身近な存在」という風に読み替えることも可能なのだけれども。
最後に、冨樫に対する批判である意味面白い論法のものを見つけたのでそれについても書いておく。これはあるポータルサイトの掲示板に書き込まれていたものだ。その人曰く、冨樫が連載に穴を空け続けるせいで、有望だがまだ未熟な若手新人のマンガ家たちが時期尚早にもかかわらず無理矢理連載を持たされたあげく、結果を出せぬまま連載が打ち切られてしまう。そうやって彼ら新人が不必要な失敗を味あわされ、若い芽が摘まれていってしまうという点において、休載を続ける冨樫は批判されるべきなのだ、と彼の人はおっしゃる。
僕はそれほどマンガ業界の内情に詳しくなく、一瞬「ああそういうこともあるのか…」と納得しかけたけれども、直後にこの論理がめちゃくちゃであるのに気がついた。
仮に冨樫の休載の穴を埋めた新人マンガ家がそこで辛酸を舐めさせられた、というのが事実だとしても、冨樫が穴を開けているのは、勢い衰えたとて今だ日本漫画界のトップに君臨する週刊少年ジャンプの誌面上においてだ。その穴を若手新人の作家は、はたして埋めたくないのに「埋めさせられる」のだろうか。世間一般においてはそれを「チャンス」と呼ぶのが適当なのではなかろうか。そしてチャンスというのはふつう、その人がそのチャンスをものにできる力量かどうかに関わらず、突如としてふって湧いてくるものだ。つかみ損ねる可能性だって内包されている、それがチャンスってもんじゃなくって?
それから、冨樫は描けないことにおいて非難されているのに、彼の穴を埋めるはめになった新人たちは、無理矢理描かされているという点において擁護される。ここにも矛盾がある。
やっぱり冨樫がキレられるのはどこかおかしいのである。