いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

自分の気に入らないことをも楽しめない人はたぶん恋愛に向いてない〜ポール・ダノ『ルビー・スパークス』〜

デビュー作の小説が大絶賛されたカルヴィン(ポール・ダノ)だったが、2作目以降が書けないスランプに陥っていた。カウンセリングを受けるほど苦悶していた彼は、夢に出てきた美女"ルビー・スパークス"を登場させる恋愛小説を書き始める。するとスラスラ筆が進んでいった。そんな彼の家にある日、ある女が勝手に住んでいた。何を隠そうそれが、ルビー・スパークス(ゾーイ・カザン)だったのだ……。


ルビーはカルヴィンが書いた小説の設定そのままに振る舞う。高校を中退し、自由奔放な性格で、独学で絵を学んでいて、そして主人子=作者=カルヴィンの恋人で……。想像してみてほしい、自分が夢想する女を具現化できるとしたら。この映画を観た多くの人がまっさきに思い浮かべるのは、「2次元嫁」という言葉だろう。しかもそれがただの妄想でなく、第三者にも目に見える実在の人物だとしたら。このコメディ映画は、2次元嫁を3次元に呼び寄せれたら、という思考実験になっている。


しかもその「2次元嫁」は、自分の書いたとおりの設定になり、自分の書いた通りの行動をとる。アントニオ・バンデラス演じるカルヴィンの兄モートが、これまたいいキャラクターなのだが、ルビーの存在を知った後、彼女にエッチなことをやらせてみては? と弟に水を向ける。自分の意のままになる「嫁」を手に入れたならば、男ならそれくらい頭によぎってしまうものだろう。


けれど、勝手気ままなルビーの性格に、次第にカルヴィンは振り回されはじめる。
ここには、この映画特有のというより、ある一般的な恋愛に通ずるあるジレンマがある。
一つの自由意志のある存在――とくにそれが恋愛感情というような強い感情を向ける相手ならばなおさら――と共に生きるということは、それ自体がストレスフルな営みだ。
そこで我々のなかに、仄暗く、邪悪な欲望が頭をもたげる。相手を思いのままに操ってしまえば、自分にとってそれは最適化された存在になるのではないか、と。カルヴィンはルビーとのすれ違いを、タイプライターに向かって彼女の「設定」を直していくことで埋め合わせる。
けれど、その営みは挫折するだろう。というのも、自分の意にそぐわない相手の特徴さえも、相手の相手らしさを形作る要素であって、その相手らしさにこそ自分は好意を抱いているのだから。


映画が狂乱的なピークに達した時、カルヴィンとルビーの仲も、ある破滅的な終わりを遂げる。
ここで我々は、カルヴィンに会うたびにモートが、苦虫をかみつぶすような顔で冷めきった夫婦仲について愚痴っていることの意味に、ようやく思いいたる。不満はあれど、嫌なことはあれど、それでも家族を作っていくという営みの尊さに。自分の気に入らないことをも楽しめない人間は、多分恋愛や結婚に向いてないんだと思う。