いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

Amazonレビューに思うこと


Amazonレビュアーであるからして、もちろん他の人のレビューを読むのだけれど、中には2種類の「困ったちゃん」がいる。よくゲームのレビューとかで体験版とかでプレイして、買ってもないのにレビューする人が批判されたりするけど、僕が感じる「困ったちゃん」はちょっとちがう。

1種類目。

  • 「お前の価値基準がわかんねーよ!」な困ったちゃん

例えば小説やマンガ、あるいは映画のレビューで、酷評する際に「こんな酷い作品はひさしぶり」というフレーズがよく使われている。それでその人のプロフィールページをのぞくと、なんとその一本しかレビューを書いていないのだ。他にも、マンガに対して「ひさしぶりの酷さ」、小説に対して「ひさしぶりの酷さ」を使っておきながら、他にマンガのレビューを、小説のレビューを載っけていないという人も同類だ。
こういうフレーズは、そのレビュアーのリテラシーというか、その人が他にもいろいろな作品を見てきたという経験が担保されて、初めて使われるべきものではないだろうか。この「ひさしぶりの酷さ」というフレーズが形骸化しているのは、その「ひさしぶりさ」を保障するレビュアーの作品履歴みたいなものがまるでないことに起因すると思う。
レビューを読む人は、その「ひさしぶりの酷さ」とはどのように酷いのかという判断基準が必要だ。「この作品は酷いのね、わかったではあなたはどんな作品を素晴らしいと感じたの?」同じ人間でも感受性が違うのだから、それを明かすことが最低限のマナーではないだろうか。

2種類目。

  • 「お前に言われたきゃねぇよ!」な困ったちゃん

要するに、もんのすごい酷評レビューを☆1つで載っけているレビュアーのプロフィールページをのぞくと、あきらかに、そりゃあきらかに、こっちの方が劣るだろうという作品に☆5つや4つのレビューを載せている人。これについては、角が立つので具体的な作品名をあげて解説はしない。


この2種類の書き方をするレビュアーっていうのが、はっきりいって僕は嫌いだ。要するにこの人たちは買った商品が詰まらなかったから八つ当たりしているだけなのである。
僕は基本的にダメなものでもAmazonレビューでは、どこかしらいいところを見つけてほめるようにしている。それは「参考になった」の票を集めたいからではない。レビュアーランキングをあげたって何の得にもなりはしないんだもん。それはタダでAmazonに奉仕しているだけだ、といわれれば、確かにそれまでだ。

例えAmazonへの無償の奉仕だとしても別にいい。僕の意識は、そういうのとは別のところにあるからだ。自分の文章の力で、人の購買意欲をそそってみたいのだ。確かに票を入れてくれたユーザーが実際に購入したかはわからない。でも、その中の何人かはカートに入れたのではないだろうか。そのように人を購入に走らせるというのはある種の魔力だと思う。
将来文筆業で食っていくことになるのかはわからない。でも僕は、作品を魅惑的に表象するその言葉の魔力みたいなものを、当分は信じていたい。