いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

家族

                                   

今回のワークショップのタイトルが「家族」に決まってから、僕はひとつの覚悟をした。ついに僕の家族について、明かすときが来てしまったのかと。僕がそれについて書くのは、少し勇気が必要だ。実は僕の家族は、少し異常なのである。
何しろ、僕の家族は僕が物心ついた頃にはすでに、よく知らないおっさんが「僕の父親」だと名のり、あたかも僕の父親っぽくふるまい、よく知らないおばさんが「僕の母親」だと名のり、あたかも僕の母親っぽくふるまっていたのだから。さらには、その「僕の母親」だと名のる人物から「僕の弟」とされる紫色をしたエイリアンのような生物(その後次第に人間らしくなった)さえ生まれたのだ。いやぁ、本当に異常な家族である。

えっ?あなたのところとあんまり変わらない?・・・本当に?

そうなのである。僕が思う家族の不思議なところは、この「なんか知らんけどもうすでにそこにあった性」にある。父も母も、僕にとっては生まれた時にはもうすでに「なんか知らんけど僕の父と母」になっていたのである。それを先取りし、「あなたが僕の父親であなたが母親だ」なんて名指しはできないし、「はい、みなさん家族になりましょう」という宣言の元でも家族は生まれない。「疑似家族」なんていうのもあるらしいけど、それは「はい、みなさん家族になりましょう」という宣言の元で生まれた家族が故に、「疑似」にとどまる。

家族の不思議さはそれに尽きない。島田紳助は娘たちが小さかったころに、「お前等も子ども“1回目”かも知れんけど、俺かて親父“1回目”や」と語ったらしい。滑稽な話だけど的を射ている。もし僕自身が家族を作るとなると、今度は2回目だ。いやいやしかし、今の時代「経歴詐称」は高く付く。よく考えてみると、今度は「父親としての家族」なんだから、正確に記すと“1回目”とカウントするべきだ。そりゃ結婚と離婚を繰り返して、子供をたくさんこさえる人もいるだろうけど、それにしても太郎君仕様の父親だって、その次に生まれた花子さん仕様の父親としては1回目といえるのではないか。
僕が思うに家族というのは、そのように常に一回性によって構築されるものなのである。みなが一同に会する家族というのは、例えるなら、常に若葉マークの、免許取り立ての覚束ない「父親」や「母親」や「子ども」というドライバーが集まる「交差点」だと解釈すればいい。どうだ、そんな交差点危なっかしいだろうし、何よりもお互いに運転がぎこちなくなるのも無理からぬことではないか。
僕が感じる家族の居心地の悪さとぎこちなさというのは、そんなところに起源があるように思える。