いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

『世界で一番ゴッホを描いた男』 “職人”を“芸術家”に変えた「アウラ」の正体

世界で一番ゴッホを描いた男(字幕版)

 

本作は、中国の深圳市近郊の「大芬(ダーフェン)油画村」という、複製画が世界的な産業になっている地が舞台。世界中からのオファーを受けて、画工と呼ばれる職人たちが、世界の名画をせっせと手作りで複製しているのだ。

主人公のチャオ・シャオヨンもその一人。彼は自らの工房に弟子を抱え、毎月数百枚、これまで10万枚以上の複製画を手掛けたという。「世界で一番ゴッホを描いた男」というタイトルはけっして大げさではない。彼は本当に、世界で一番ゴッホの絵画を模倣してきた人物の可能性があるのだ。

名画の複製というとお金になりそうなイメージだが、そうでもなさそうだ。毎月何百枚と複製画を手掛けても、シャオヨンと彼の家族は裕福そうには全然見えない。さしずめそれは、日本でもよく見るような自転車操業の町工場のような風景だ。稼げないのでやめていく職人も多いのだという。

 

そんなシャオヨンには夢があった。自分がこれまで何千、何万と手掛けて、ついには夢にさえ出てくるようになったヴィンセント・ヴァン・ゴッホの母国オランダを訪れ、彼の原画を見ることだ。

いざ、スタッフと共にオランダ・アムステルダムを訪れたシャオヨンは、ショックを受けることになる。もう何年も取り引きしている現地の取り引き先の営むのは、高級な画廊ではなく、粗末な露天だったのだ。

それだけではない。彼がショックを受けたのは、そこで売られていた自らが手掛けた「ゴッホの絵」の価格だ。500ユーロ。それは中国元にして4000元。自分たちが1枚450元で請け負っていた作品は、8倍以上もの価格で売られていたのだ。自分たちの労働は明らかにダンピングされていた。そのこと知ってか知らずか、オランダの取り引き相手は悪びれる様子もない。

ここに、対等な取り引きとはいい難い、アートを通して従属関係を見てしまった気がする。西洋芸術をありがたがって安価で複製することに心血を注いできたシャオヨンたち中国の画工。しかしその逆、つまり、西洋の職人たちが中国美術をありがたがって模倣、複製することはないのだ。

楽しみにしていたオランダ旅行。しかし、このときシャオヨンがタバコを吸いながら、険しい表情で遠い目をするカットが印象的だった。

その夜、シャオヨウが宿泊先でスタッフと交わす会話も印象的だ。俺たちは生計を立てるためだけに絵を描いていると嘆くシャオヨンを、スタッフは、ゴッホだって生前はなかなか評価されず、生きるために描いていたのだとなだめる。つまり、ゴッホも俺たちのような思いはしていたのだ、と。

 

ただ、映画ではこのオランダ旅行での救いも描いている。露天を見た明くる日、美術館でようやく念願のゴッホの原画と対面を果たしたシャオヨンは、「ひまわり」や自画像を食い入るように眺める。20年以上複製し続けてきた彼をして、自分の絵とは「比較にならない」と言わしめたゴッホ。しかし、そう話すシャオヨンの目は、出国前のような光を取り戻したようにさえ思える。

帰国後、ゴッホの原画の凄さを、興奮気味に弟子たちに伝えるシャオヨンの姿があった。それだけではない。シャオヨンは帰国後、複製ではない、自分のオリジナルの作品の制作に取り掛かることを決意する。

いざ、実作に取り掛かった彼の絵が、ゴッホのタッチそのまんまという笑えるような悲しいようなオチもついているのだが…。

それはともかく、本作は、楽しさを知らないままに仕事をしてきた「職人」が、絵を描くことに生きる意味を見出す「芸術家」になるまでのプロセスを描いている。

芸術のげの字も知らないままに業界に入り、複製画の職人として20年間あまり費やしてきた男の生き方を、ひと目見ただけで決定的に変えてしまったゴッホの絵。もしかしたらそれが、ウォルター・ベンヤミンのいうところの、複製ではない本物だけが持つ「アウラ」の正体なのかもしれない。