いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

怖い! ダイアンのよなよなが終わってしまう! 危ない!

 

表題のとおりなのだけど、毎週聴いていたABCラジオ『ダイアンのよなよな…』の最終回があと数時間で始まってしまう。

お笑い芸人のラジオというのは得てして聴取率の低迷で力尽きるのが常だが、今回に関してはABCラジオの月曜から木曜の帯番組『よなよな…』そのものが解体するということで、ダイアンが担当する月曜日=『よな月』も終わってしまうにすぎない。どの番組だって惜しまれながら終わるものだが、『よな月』についてはファンも多かったので、なおさら悔しいところだ。

 

なぜそこまでダイアン、そして『よなよな…』にハマっているのか。周囲の人間に度々聴かれるのだが、こればかりは聴いてみてもらうしかないかもしれない。

鬼越トマホークの坂井良多が以前、TBSラジオの『おぎやはぎのメガネびいき』について褒めるときに、「なんでか理由は分からないけど面白い(大意)」ということを言っていた。少し、dis入っているような気がしないでもないが、これが意外と的を得ている。おぎやはぎのラジオはたしかに、「なぜか分からないけど面白い」のだ。

お笑い芸人のフリートークが主体のラジオというのは得てしてそういうものなのかもしれない。おのおののトークスキルもさることながら、2人が素顔の状態でラジオブースで顔を合わせたその瞬間にしか立ち現れない、唯一無二の空気感があってこそなのだ。そういう意味で、坂井がいうように「なんでか理由は分からないけど面白い」というのは字義通りなのだ。おぎやはぎがラジオブースにそろって入って、話し始めると勝手に面白くなってしまう。それと同じように、ダイアンの2人がラジオブースに入って話すそれだけで勝手に面白くなってしまうのだ。それ以上は、理由を聴くよりまず聴いてみてほしいとしか言えない。

 

あえて、なぜダイアンのラジオにハマったのか、その理由を言語化するとしたら、どんなに装ってもただよう2人の「マイナー」「地味」なイメージが、たまらなく好きなのは一つあると思う。

そもそも、「よなよな…」を聴き始めたのは偶然の出会いに過ぎない。たまたまradikoプレミアムでこの番組を知ったのだ。

ダイアンといえば、『M-1グランプリ』2007、2008大会に出場し、その存在は知っていた。漫才の腕は確かだとはそのときから思っていたが、当時の番組がつけた「お笑い月見草」という二つ名のとおり、そのイメージは同期のキングコングとは真逆の地味でマイナーなものだった。M-1も07・08大会とも優勝でなければビリッケツでもない微妙な順位だったのが、彼らを象徴している。

そんな2人の冠ラジオ? 聴くやつおる? と失礼なことを考えながら聴き始めたのだが、それがあれよあれよという間にハマっていってしまった。

聴いてみて感じたのは、「地味」や「マイナー」であることは必ずしもマイナスではないということ。それそのものが一つの味なのだ。阪神よりはオリックスコロコロコミックではなくコミックボンボンを購読していたぼくが、かまいたちでなくダイアンにハマるのは当然の摂理だった。

 

ダイアンのラジオは、必ず天気や気候の話で番組がスタートする。オッサン2人が天気の話て、なんじゃそれ、需要ねーだろ、と思うなかれ。よな月リスナーは分かっている。そこはアイドリングトークなのだ。そこから、お互いの今週思ったことや起きたことで話がどんどん展開してく。やれ祇園花月の楽屋がどうだったや、ロケでこういうことがあっただ。

2人が「そこまで仲がいいワケではない」というのも、いいのかもしれない。ここ最近は「コンビ仲のよさ」をお笑いファンは求めるものなのかもしれないけど、個人的にはコンビは付かず離れずの状態で、決して共闘せず、お互いのスキをついて詰り合うような関係性の方が好きだ。

 

滋賀からやってきた、大舞台にはからっきし弱い、地味で華のない2人が、2人だけの空間でコソコソと、ボソボソとしゃべっているやり取りがたまらない。ときにこんな話題ではネットニュースにしてもらえないと嘆きながら、いざネットニュースになりそうな話題になるとビビり始める。結局、ネットニュースになったのは数回だった。でもそれがいい。それがダイアンらしさだ。ダイアンの面白さを教えてくれたラジオ、『よなよな…』ラスト1回を心して聴いておきたい。