人と話していて唐突に、「うちはゲームが年間4本だった」という強烈な思い出が蘇ってきたので、記しておきたい。
「年間4本」というのは、ぼくと3つ下の弟と2人合わせて計4本を買ってもらえる、ということだ。それぞれの誕生日プレゼントと、クリスマスプレゼントである。
この年間4本というので、いかにやりくりするか。そのマネージメントに頭を悩ませていた感触がブワッと思い出されて、むせ返りそうになった。
小学2年生のときにスーファミのハードとともに「ストリートファイター2」と「スーパーマリオワールド」をクリスマスプレゼントで買ってもらった。それ以降、この「年間4本」でどれだけ頭を悩ませていたか、それがぼくにとってのいち大事だった。
12月に2本買ってもらえるが、そこからぼくの5月の誕生日までの5ヵ月、弟の7月の誕生日から12月までの5ヵ月、その2つの5ヶ月間を以下にして飽きずに逃げ切るか、ということに、脳のメモリーを極限まで使っていた。面白いゲームのなかでも特に面白いゲームを選ばなければならない。クソゲーなんて引くのはもってのほかである。
そんな中、ぼくにとって一生の不覚、と言えるチョイスは、誕生日に買った「ゴーゴーアックマン2」である。
買ってもらった箱をあけて、喜び勇んでプレイする。あれ? おかしい…盛り上がらない。おかしい!そんなバカな!?もっと面白くなるはずだ! いや、頼む!面白くなってくれ!
祈りは届かず、小学生のぼくでも1時間足らずで確信した。このチョイスは失敗だったと…。
あのときの悲しい気持ちは忘れられない。面白くないことと、それ以上に、「自分がクソゲーを引くなんて」という自分の選球眼のなさへのショック、そして、これで弟の誕生日月まで食いつながなければならないのか、という絶望感。
当時はまだネットなどない。新聞に挟まったゲーム屋さんのチラシ、はたまた店頭でのディスプレイなど僅かな情報から、「できるだけ面白いゲーム」を選ぶことに精魂を使い果たしていた。
買うゲームは面白いと同時に、「友達の間でブームになるゲーム」でなければならない。「友達の間でブームになる」ということは、よく友達が家にやってきてゲームをして遊んで帰る、ということである。「信長の野望」に当時から惹かれていたけど、1人ゲームという時点でそもそも論外であった。
小学校のときにつるんでいたH賀くんは、そういうゲームを当てるのに長けていた。中でも、H賀くんの家で大ブームになったのは「マッスルボマー」というプロレスゲームで、今にして思えばなんで流行ったのかわからないのだが、ぼくらは毎日のように放課後、5、6人でH賀くんのマンションにあがりこんでは、マルチタップをつないで4人対戦に明け暮れたものである。
H賀くんが羨ましかったのは、おそらくであるが「ゲームを買う頻度」が、ぼくよりも高かったことである。多くゲームを買うからこそ、当たりのゲームに会う確率も高かったのではないか、と思う。
別にH賀くんとぼくの家で所得階層が違ったというようには思えないのだ。今にしてみれば、どっこいどっこい。中流オブ中流だったと思うのだ。お互い。
そういう中で、なぜ彼の家には新しいゲームが次々あったのかと考えると、それは「これを買ってほしい」とねだっていたのかもしれない。
一方、ぼくは「これがほしい」とねだったことはない。あらかじめ与えられた誕生日という権利と、クリスマスという権利、その2つを握りしめて、それしか方法がないと思いこんでいた。もしかしたら、5月と言わず、クリスマスと言わずとも、「これがほしい」とねだっていたら、両親は買ってくれていたのかもしれない。
それから、両親がゲームをするかどうかも大きいと思う。たしか、H賀くんの家はお父さんもゲームをしていたのだ。つまり、ぼくらが興じていたH賀くんのゲームはH賀くんのお父さんのものでもあった。
うちも父親はゲームをしていたのだが、彼がしていたのはファミコンの「マリオオープンゴルフ」である。これ一本を狂ったように何年も何年もやり続けるものだから、父親発信でカセットが増えることなどない。
そうは言っても、厳密に年4本かというとそうでもなくて、なぜかふって沸いたようにゲームがもらえることもあった。
一番衝撃的だったのは、母方の祖父母がどこか海外に旅行に行って帰ってきた時である。お土産が渡すと言ってうちに寄ったのだ。
どうせどこかの国のやたら甘い、健康に悪そうなチョコか何かだろうと鷹を括って上の空でゲームをしていたぼくの目の前に、ポンと出されたのが「スーパードンキーコング2」だったのだ。
「スーパードンキーコング」といえば、当時はまだ珍しかった3DCGのグラフィックのアクションゲームで、1が出た時には度肝を抜かれた。その最新作の2が、誕生日でもクリスマスでもない通常月にもらえるなんて!
突然降って沸いた「スーパードンキーコング2」。当時のぼくがドラミングするかのように狂喜乱舞したのは言うまでもない。我ながら「どこかの国のやたら甘いチョコレート」だと思っていたときの祖父母に対するつれない態度と、ゲームソフトだとわかった瞬間の態度のギャップには恥ずかしさを覚えた。
先日、ひさびさにPS4にログインして、面白そうなソフトを3本ほど衝動買いした。全部で1万円ちょっと。どれもそのあと気が乗らなくてクリアには至っていない。
それに比べて、スーファミのカセットなんて、今にして思えば7000-8000円代である。それぐらいのことで頭を悩ませば、歓喜することもある。それぐらい当時のぼくは小さな宇宙の住人だったのだけど、あの頃がたまらなく愛おしくもあるのだ。