いや~おもしろかった。
本作について何がすごいといっているのは、「形式そのものが内容だった」という点で、3行目で早くもネタバレすれば、「登場人物がみな動物だと思いきや、主人公・小戸川の認知障害だった」ということ。「動物がしゃべる設定」=形式が、「脳に障害を負った小戸川」=内容だった、という大仕掛け。ちょっとハードボイルドな『ズートピア』かなと思いきや、映画『ファーザー』だった、みたいな。
そう分かると、いろいろな箇所にヒントが隠されているのだろうが、それらを一つ一つ見聞していくのは他のファンに任せておいて、ぼくはやはりこれが「アニメの限界」ではなく「アニメの可能性」だったことがすごいと思う。
かわいらしい動物の作画でどうしようもなくシリアスなドラマをやってみせた本作。ぼくはそれを、アニメにおいて「アニメの限界」を指し示す、アイロニカルな意図がある、と少々イジ悪く考えていた。
けれど、その予想は全くの大外れ。本作はその逆で、アニメの可能性を探る試みとさえいえる。
『オッドタクシー』と同じことは実写では不可能だろう。それは技術的な問題ではなく、違和感の問題だ。
二次元のアニメーションであるがゆえに、視聴者は何の違和感も持たず、持つことができず、作品の中に誘われてしまう。それは、2Dアニメーションが長い歴史をかけて培った、「動物がしゃべっても不思議でない」というリアリティの産物である。
『オッドタクシー』が指し示したのが、アニメの限界ではなく、アニメにしかできない可能性であるというのは、つまりそういうことだ。
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