芸能人が不祥事を犯し、刑罰や社会的制裁を受けるたびに、同時に彼らが出演した作品、奏でた音楽などの「処遇」の扱いまでもが話題に及ぶようになって久しい。
実際、SNS上には「彼の出ている作品はもう見ない」「反吐が出る」などと罵っている声を目撃することは少なくないし、「自粛」の名のもとに作品が配信停止になってしまうのが現状だ。
どんなに素敵な作品を手がけたとしても、人間的に未熟な人はいくらでもいる。作品とその人本人は別物である。多くに批判者の人々はそれを分かっているのだろうが、生理的に無理なのだろう。
ぼくはこうした現象を目にするたびに、Mr.Childrenの桜井和寿に感謝するのである。
「桜井さんって、不倫してるらしいよ」。
今でも、そのときの光景をありありと思い出せる。場所は中学校の技術教室。中学1年、当時ミスチルファン真っ只中だったぼくは、友達がさりげなく放った情報があまりに唐突で、衝撃的すぎて、持っていたカンナを落としそうになった。あの桜井さんがそんなことをするわけない。当時、チンコの毛も生えそろっていなかった13歳のぼくには、「桜井和寿」という偶像と、「不倫した男」という畜生を重ね合わすことができなかった。
あの特徴的な歌声、温和な顔、J-POPの表通りを仁王立ちで突き進むメロディセンス、小林武史風味たっぷりのアレンジ、そしてなにより、ポップでありつつ刺さるメッセージ性を秘めた歌詞。すべてに惹かれていた。ぼくがファンになった97~98年当時はちょうど、活動休止を挟んだこともありメディア露出が減少し始めていた。露出の少なさが渇望を生み、偶像崇拝をさらに加速させた。
そんな風に、当時ぼくが神とさえ崇めていた桜井さんが、まさか不倫という、そんな陳腐なことをするはずがない。不倫なんて、チンポコに支配されたバカな男がするものだとばかり思っていた当時のぼくに、それは辛すぎるストーリーだった。
その日は部活のソフトテニスの練習も手につかず、気もそぞろで帰宅するや否や、夕飯を作っていた母に問いただした。「桜井さんって、不倫してるの?」。口にしたくもない言葉だったが、「友だちから聞いた噂」という宙ぶらりんのままのほうが、よりいっそう気持ちが悪く、耐えられなかった。ぼくがとったのは、「その手の芸能ゴシップにはめっぽう強い母親に真偽を尋ねる」という行動だった。
帰宅したばかりのぼくの問いに、まな板に向かってネギを切っていた母親の包丁を握る手は止まる。美容室の女性誌を読み倒して皇室の真偽不明の怪しい噂まできちんとフォローしているうちの母親は、顔色ひとつ変えもせず「ほうよ? 下積み時代から支えてくれとった奥さん捨てて、若い女に乗り換えたんよ」。コテコテの広島弁で、すでに精神的にフラフラの状態のぼくをさらに追い打ちをかける。
さらに母はこう続けた、「相手はちょっといやらしいグループの…確かギリギリガールズとかいう…」。当時、すでにそのグループは活動しておらず、まだ中学校入りたてだったぼく自身は存在すら知らなかった。そして、今のようにすぐにググるような習慣もない。当時、自宅リビングの隅には、ウインドウズ95を搭載し、インターネットの世界につながっているはずのパーソナルコンピュータが鎮座していたが、そのときはホコリを被って久しかった。
しかし、いくらぼくがそのグループを知らなくても、ネットで検索するという選択肢がなくても、「ギリギリガールズ」について、以下のことは直感的に分かった。
たぶん、とてもとても、浮ついた組織だ…。
すべてがガタガタガタと崩壊していく音が聞こえる。もうこの時点で、ぼくの中での聖人君主のアイドル、桜井和寿の偶像崇拝は崩壊寸前だった。あんなにいいメロディー、あんないい歌詞を書くことができる桜井さんがいる一方、下積み時代を支えてくれた妻を裏切り、浮ついた組織の女性と逢瀬を重ねるなんて…。ぼくのなかで、桜井さんという人物がよくわからなくなった。一体どれが本当の桜井さんなのだろう。ぼくは何を信じればいいのだろう。
そんな心のもやもやを抱えながら、ぼくはその後もMr.Childrenを聴き続けた。『DISCOVERY』のバンドサウンドを聴き込み、続く『Q』ではその音楽性の幅に圧倒されながら、年月は過ぎていった。
しかし、その間に、ついに届いてほしくなかった報が届く。桜井さんが前妻と離婚し、不倫相手と再婚した、というのだ。
桜井さんが手掛けた曲に聴き惚れれば聴き惚れるほど、「なぜ?」「どうして?」と疑問符が脳内で反響する。どうしてこんなにいい歌詞が書ける人が、いい歌を歌える人が、不倫なんてするのだろう? 妻を捨て、乗り換えることができるのだろう?
尊敬は畏怖へ。10代半ばのぼくの中で、桜井さんという存在は、もはや理解の範疇を超えた、得体のしれないモンスターへと変わっていた。
そんなモヤモヤを抱えていた数年後、ある転機が訪れる。
2001年の秋、ミスチルがベスト盤の『Mr.Children 1992-1995』、『Mr.Children 1996-2000』をひっさげ、久々の全国ツアー「Mr.Children CONCERT TOUR POPSAURUS 2001」を開催した。ぼくの地元、広島にもやってきたのだ。
チンコの毛がようやく生えそろいつつあった16歳、高校1年生のぼくは、友達のミスチルファン仲間とチケットを手に入れ、生ミスチルを参拝する権利を得ていた。
その友達、Nくんは脳みその容量の9割近くをミスチルとK-1、PRIDEにとられてしまっていた底しれぬアホで、案の定、高校は地元の底辺校にかろうじて受かったが、3日で辞めた逸材である。当時、まだ高校になじめなかったぼくのほとんど唯一の友達がこのNであった。
そんな彼と、シャトルバスで数時間揺られてたどり着いたのが、会場の備北丘陵公園だった。
初めての野外ライブにして、初めての生ミスチル。期待と緊張に体がこわばる。空が紫色に変色したころ、ステージに灯りがともりライブは始まった。サポートメンバー、JENさん、中川さん、田原さんが続々と登場し、そのたびに割れんばかりの拍手がオーディエンスから起きる。そして最後、一番大きな拍手に出迎えられ、満を持してステージに現れたのが桜井さん。ぼくの当時のアイドルにして、不倫をして前の奥さんを捨てた男だ。
初めての生ミスチル。期待と興奮を胸に始まったライブは、最高だった。
そんな中で、ライブ中盤のMCのときだった。桜井さんは、バックステージの紅葉豊かな景色を話題に出した。そこで次のように言ったのだ。「きれいな小川もあってね。そこでしょんべんもしたんですけど」。 ここで、会場はややウケ。女性ファンの面々からは「もう、やだー(笑)」という、例の全然嫌だとは思っていない、媚態の込められた悲鳴もあがった。隣のNもアホみたいなゲラゲラ笑っていたと記憶している。
そんな会場でただ1人、おそらくぼくだけは、桜井さんの「しょんべん」発言で、カミナリに打たれたような衝撃を受けていた。
桜井さんが、きれいな小川に向かってチンコを出してしょんべんをする。そのとき、ぼくの中で、いい歌詞、いい歌を歌う桜井さんと、不倫をし、離婚し、再婚し、きれいな小川にしょんべんをする桜井さんがガッチリと結びついたのだった。
なんだ、そういうことだったか。
あれも桜井さん、これも桜井さん。人間なにも一面的ではない。多面的なのだ。清濁併せ呑むのが人間であり、美しい作品を描き、演じ、歌い、作る人だって、人を騙すこともあれば、良くない薬を服用することも、そして結ばれてはならない人と結ばれることだってある。もちろん、小川に向かってチンコを出すことだって。
これを読んでいるあなたには、そんなささいなことでか、と思われるかもしれない。たしかに、「小川にしょんべんする」はささいなきっかけかもしれないが、偶然か必然か、そのエピソードがぼくの中で実感として2人の似て非なる桜井和寿を接続させたのだ。
すべては多面的なのだ。ぼくはライブ中、そのことを初めて「実感した」のだ。数年のときを重ねて、そのことを桜井さんからぼくは教えてもらった。
カンナみたいにね 命を削ってさ 情熱を灯しては
また光と影を連れて 進むんだ「終わりなき旅」より
それ以来、この歌詞が歌っているのが、桜井さんの自画像にしか思えなくなった。桜井さんは命を削りながら、光と影をあわせ持つ生き様を見せてくれたのだ。
だから、人物と作品を分けられない人をみるたびに、16歳のころのぼくを見るように思ってしまう。ぼくは16歳のそのとき以来、誰がどんな不倫をしようが、誰がどんな薬物でトリップしようが、なんのショックも受けない、強靭な精神を手に入れた。芸能人の不祥事を眺めるたびに、ぼくは桜井さんに感謝するほかないのである。