いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

アンジャッシュ渡部の不倫 自分がスケベな俗物だと自覚あるものだけがクリックしなさい

トイレの神様(DVD付)

 

 今回の件について、前々からの私見とそう変わりはないのだが、今回も、おそらく多くの人が勘違いしている。
 
 今回の騒動は、とんでもない大問題なのか。
 
 ちがうよ?
 
 こんなの、一般家庭でもよくあることである。ある男が、婚姻外の女たちと致しちゃっただけ。たまたま、それが超ど級の有名人夫婦だっただけなのだ。
 
 では、なぜみんなこんなに寄ってたかって、この話題について意見を表明するのだろう。
 
 みんなが分かってないことがある。
 
 結局みんな、「不倫」、大好きなんでしょ?
 
 まあまあまあ、そう否定すんなよ。分かってるって。大衆は「不」「倫」の2文字が大好きなのだ。
 
 「不倫」などの性のワードが醸し出す甘味な誘惑については、一介のネットメディア編集者の身であるならば、嫌でもよく分かる。性のワードのなかでもとりわけ強い力を持つ「不倫」という見出しには、クリックしたくなる魅力が隠されているのだ。
 
 これに加えて、「多目的トイレ」というスキャンダラスな追加情報も加わったことで、それに拍車がかかった。みんな、「障害者トイレでおセックスをするなんてけしからんザマス!」と、大手を振ってこの件に「バッシング」というポーズをとって参加できるようになったのだ。
  
 でもね? みんながこんなにこの件から目が離せなくなったのは、それが「性の話題」だからなのだよ。このことだけは絶対に忘れてはならない。みんな、「セックス」について読んだり語ったりするのが大好きなのだ。
 
 今日も朝から、マスコミは擦り切れるまでバンバン今話題にふれるだろう。でもそれはこのスキャンダルが「重要」だからではない。
 
 前にも述べたが、順序はあべこべだ。
 
 みんなが注目するから、トップで扱っているだけ。そして、なぜみんなが注目するかというと、咎められることなく、「セックス」の話題に触れられるからだ。

 

 こうした話題では、まず真っ先に「不倫相手」の特定が始まるのが、昨今の常だ。今回はその上、相手の一部が「セクシー女優」(あいからわず慣れないこの不自然な呼称!)だったということで、目の色を変えて特定に走った人々も多いのではないか。彼らが特定した暁には何をするかは決まっている。同じ名前で「FANZA」で検索するはずだ。「どれどれ、渡部が抱いた女というのは…」と値踏みして、視姦しているに決まっている。

 大衆を支配するのは、正義でも道徳でもなく、セックスであり、金なのだ。この徹底的なスケベで俗物性こそが、大衆なのだ。

 

 しかし、それが悪い、と言いたいのではない。問題はそれに自覚的か、だ。

 

 テレビのワイドショーといえば、「俗物」の塊のような大衆文化だが、未だにこうした番組に対して、「くだらない」「低俗」といった定形の罵倒を繰り返す者が存在する。はっきりいってアホである。
 
 それは、言うならば風俗嬢のテクニックで果てたあとに、「こんな仕事いつまでもしてちゃだめだよ」と説教垂れるおじさん風情と同じ。あー、ダサい。「くだらない」ならば、観なければいいのであって、「くだらない」と言いながら観ている時点で、それはもう三こすり半で果てた説教おじさんと同じである。いや、説教おじさんが早漏であるかは分からないが。
 ワイドショーがくだらないなんて当たり前だ。ならば取りうる選択肢は2つしかない。見ない、か、くだらないと承知の上で楽しむか、だ。個人的には、坂上忍梅沢富美男は嫌いではない。ああいう、支離滅裂なことを電波で話す狂人たちをながめるフリークショートとして、ワイドショーは存在意義がある。ただし、報じている表層の部分でほとんど信用していないが。

 

 では、お前はどうなんだ、と?
 
 そう、何を隠そうぼくも、この手の話題が大好きである。「セックス」「不倫」「多目的トイレ」という話題について、話すのに目がない。普段から話している。

 しかし、ここまで書いてきたとおり、ぼくはそれに自覚的である。ああ、自分は俗物でスケベだなあと思いながら、今回の騒動も眺めている。だから、渡部については悪感情は全くといってない。擁護もしないが、まちがっても「正義」の名のもとに叩こうとも思わない。

 それから不倫していたトイレが、東京・六本木ヒルズだったという情報も、個人的には感慨深い。なぜなら、そばにあるTOHOシネマズ六本木ヒルズは、コロナ禍前までは仕事終わりによくお世話になっていたのである。そのすぐそばのトイレで渡部がお世話になっていたとしたらと思うと、胸が熱くなるのである。