いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」が問いかけるSNSとグルメの難しい関係

このブログでも細々とグルメレポなるものを始めたが、いつも痛感するのが「評論対象としてのグルメの難しさ」だ。千の言葉、万の言葉をつむいでも、結局「味そのもの」など伝えられるわけがなく、また評価を下したとしても「お前の好みだろ」で終わりかねない。
そんな「メディア(媒介)を通じてのグルメ」の難しさを改めて思い知らせてくれるのが本作、『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』だ。
ロバート・ダウニーJrを復活させた『アイアンマン』シリーズのジョン・ファブロー監督最新作。名シェフがSNSによって挫折し、SNSによって復活するという快作だ。
ファブロー自身が主演し、ロバート・ダウニーやスカーレット・ヨハンソンなどの『アベンジャーズ』チームの他、ダスティン・ホフマンも出ており、実に豪華な陣容となっている。


ロサンゼルスにある一流フレンチレストランの総料理長キャスパー(ファブロー)は、有名なグルメブロガーの来店を前にして気合いが入っていた。
ところが、直前になって特別メニューが店のオーナーに却下され、キャスパー自身もマンネリを感じていた通常メニューを出さざるを得なくなる。結果、食べたブロガーには酷評記事を書かれてしまうことに。
気落ちしていた彼にさらに追い打ちをかけるのがSNSの存在で、ブロガーの記事がTwitter上で拡散してしまうのだ。それを知ったキャスパーは、ネットに詳しい息子に教わり自らのアカウントを作り、ブロガーへの反撃にでる。

ここからは、日頃から日本のネット炎上を知る観客なら目を覆うような展開だ。SNS触りたての煽り耐性ゼロのおやじミーツ自分の悪口というだけで嫌な予感しかしないが、キャスパーはおそらく考えうる中で(ネット作法として)最低最悪の方法でブロガーにやり返してしまい、大炎上となる。


たしかにやり方は致命的にまずいのだが、キャスパーの気持ちもわからなくもない。
彼が劇中で手がける料理は、どれも見ていてよだれが垂れてきそうなぐらい美味しそうに描かれる。店も評判ということなのだし、味は実際悪くないのだろう。
けれど、たった一人が酷評を書くことで、食べたことがない人までもがそれをもって判断を下してしまう。記事を読んだだけの人からすれば、キャスパーの料理はその酷評記事が「すべて」になってしまう。キャスパーにとって、これほど歯がゆいこともないだろう。
そして、その「歯がゆさ」はおそらく、映像や音楽といった他の評論対象のそれとは比較にならないほど強いと思うのだ。
ここで冒頭の話に戻る。現行の技術では、メディアを通じて料理について知ることができるのはその外見だけで、味も匂いも伝えられない。グルメレポは現に存在しているが、あくまでもそれらは言葉(「まいうー」etc)による代理表象であって、「味そのもの」ではない。
映像作品や音楽はまだ、メディアを通して追体験できる(それでも映画は劇場で観ないと、という原理主義的な人もいるが)が、われわれにとって「料理の味」とは徹底的に「いま・ここ」で起きている究極の「ライブ感」なのだ。
マスメディアは味がまずくても穏当な表現におさめる傾向があるのに対し、ことにネットメディアに関しては断言すればするほど読み手の耳目を集める傾向があり、結果的にグルメ評もマスメディアに比べて極端になることは否めないだろう。
しかも味覚には個人差もあるし、好みもある。誰かの口に合わなくても、また別の誰かの大好物になる可能性は、まったくもって捨てきれない。


こてんぱんにやられたキャスパーだが、この映画は「SNSって怖いよね」だけで終わらない。
大炎上によって職を失い、失意の中にあった彼は、ひょんなきっかけで降り立ったフロリダ州マイアミ・リトルハバナキューバサンドイッチの美味しさを知り、移動式の屋台をすることを思い立つ。
ワゴンを手に入れ、フロリダ州から自宅のあるLAまで北米大陸を横断することになるのだが、Twitterでの口コミが広がることによって、キャスパーたちの屋台は立ち寄る各所で大盛況となっていくのである。

やや出来すぎな話にも思えるが、この映画が興味深いのは、前半では著名なブロガーという「発信力の強い個人」、後半では名も無きユーザーたちの総体としての「口コミ」という、対照的なネット上の2つの現象を描いているということだ。映画はどちらが正しく、どちらが間違っているというような描き分けはしておらず、どちらもネットの姿のいち側面なのだといえる。
LAに戻ったキャスパーには思いもよらぬ展開が待っているのだが、それについてはぜひ劇場で体験してもらいたい。