いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】忘れないと誓った僕がいた


ももいろクローバー早見あかりの主演映画だ。
ごくふつうの高校3年生、葉山タカシの前に現れた謎の美少女・織部あずさ。彼女は実はタカシと同じ学校の生徒で、しかも同級生だという。同級生にこんな美少女がいたのかと驚くタカシだったが、あずさと知り合った直後から彼の周りでは不自然なことが起き始める。
そしてタカシは、あずさから信じられない話を聞かされる。彼女は、出会った人々にきれいさっぱり忘れられていく、というのだ……。


予告編を見た上で鑑賞した10人中9人くらいは「どうせ『シックスセンス』的なものでしょ?」みたいな予防線を張って観に行くと思う。
しかし、その期待はいいようにか悪いようにかはわからないが、外れることになる。原作のジャンルがファンタジーということからわかるように、この作品はそういう「謎の解明」の方向へ進んでいくわけではないのだ。


ファンタジーといえば、この映画で一番ファンタジーなのは、なんといっても早見あかりの存在そのものだ。
ぼくはももクロについては門外漢なのだが、それでもわかる。なんなんだあの、周囲の半径3mあたりの世界をパッと明るくするような存在感は。ただいるだけなら美形に終わってしまいそうだが、そこに豊かな表情が加わると、とたんに魅力に満ちていく。
劇中、あずさとタカシはiPhoneを使ってお互いを動画で撮るというシーンが多い。原作にそうしたシーンがあったのかはどうかはわからないのだが、この戦略は確かに当たっている。あのポートレートは、早見の魅力を最大限に引き出している。


それから、彼女の相手役となるタカシを演じた村上虹郎である。『2つ目の窓』にも出演していた村上淳の息子さんだが、この人も早見とは対極の意味で存在感がある。
それは、「普通」ということだ。これは批判ではなく、褒め言葉である。東出昌大にこの役はできない。どう考えても「普通」には見えないからだ。97年生まれで弱冠18歳の村上だが、すでにプロの「普通」を体得し、早見あかりを際立たせることに成功している。


もちろん本作はフィクションである。ありえない架空の話なのだが、それでも「忘れない」ということがいかに大切かを考えさせられる。なぜならぼくらは、普通に人のことを「忘れる」からだ。そして「ああ、そんな人いたなあ」と思い出すとき、どこか罪悪感を覚える。
おそらく「あなたのことを忘れない」という言葉、決意は、「あなた」がいる世界全体をまっすぐに肯定することだ。つまり「忘れない」とは、世界の根底に深く根ざした「愛の言葉」だということを、この映画は教えてくれるのである。