公開中の『空の青さを知る人よ』というアニメ映画を観た。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』で知られる製作陣=超平和バスターズによる最新映画である。
主人公は、秩父の山奥に暮らすベース大好きな女子高生、相生あおい。両親が交通事故死したあと、女手一つで育ててくれた姉あかねとの二人暮らし。そんなあかねとあおいの前に、大物歌手のバックミュージシャンとして金室慎之介が舞い戻ってくる。慎之介はあおいが音楽を始めたきっかけで、憧れの存在。高校卒業後に音楽での成功を夢見て上京していた。そんなときに、あおいの前に、高校時代の姿そのままのもう一人の慎之助=“しんの”が現れ…。
安定したアニメーションに、実写と見紛うような美しい背景、秩父という舞台は同じものの『あの花』とは全然違うのにきちんと『あの花』風味が効いた感動を呼ぶストーリー。いい映画である。
乱暴に一言でまとめるなら、「あの日見た夢にきちんと“ケジメ”つけてます?」という話である。
その結末は、ナイーブと言えるほどまっすぐである。実写だと少し出来すぎで辟易としてくるほどまとまっているのだが、アニメということがその荒唐無稽さをカバーしている。鑑賞後にすがすがしい気分になれる一作である。
一方で、ぼくがそんな風に一定の距離をとって「すがすがしい気分になれる」「いい映画」だと言い切れるのは、たぶんこの映画はぼくにとって「他人事」だからなのだろう。
逆に、ぼくや慎之介と同世代の30代前半ぐらいの人の中には、この映画を観て胸をかきむしられるような思いを抱く人がいると思う。
彼らとぼくのちがいはなにか。それは夢をみている中高生か、そうでない中高生だったかのちがいだ。
中高生の頃のぼくは、ばく然と東京に出たいという希望はあったものの、はっきりとしたやりたいことがあったわけではない。東京のキー局のテレビ局員になりたいと考えた記憶の断片はあるが、それはおそらくテレビマンという職業が「高収入だから」とか「カッコいい」「女性にモテそう」という打算的なもので、お世辞にも「夢」と呼べるような代物ではなかった。
つまりぼくには、“しんの”のように十何年後かにバケてでる夢がなかったのである。だからこそぼくにとってこの映画はただの「いい映画」なのだ。
強い光ほど、濃い影を引き寄せる。
この映画を見ているうちに、強い夢とか希望を持って社会に出ていった人ほど、それが叶えられなかったときに苦しめられるという側面もあるんじゃないか、ということを考えたのである。この映画を作った人たちはたぶんそんなことを伝えたかったわけではないだろうが。
「まあ、とりあえず井戸から出てみれば?」。あの頃、「空の青さ」にただただ惹かれるだけで、井戸からはい出たあとのことなんて何も考えていない、ぼくのような中高生がそこにいたら、そう声をかけてあげたいものである。