進化の道を辿ることになったエイプと、ウイルスによって絶滅の危機に瀕している人間たちの戦いを描いた『猿の惑星:創世記』の続編。
元祖『猿の惑星』シリーズへ続くとされるリブートもので、つまり結末は「エイプが勝つ」ことが決まっている「デキレース」だ。それだけに、結末に至るまでのプロセスの質が問われるというもの。
結論から言うと、めちゃくちゃよかった。人間とエイプという異なる者同士の対立と、その中でもかすかに芽生える信頼をめぐり、ストーリーが展開される。
前作から10年後という設定で、人間とエイプの力関係はきわめて微妙な均衡状態に入っている。エイプの側がシーザー(前作でジェームズ・フランコが飼っていたヤツ)を頂点とする王国を着実に拡大していっているのに対し、人間はパンデミックにより人口が激減し、国家という単位は消失した。人間側にとある必要が生じ、10年あまり接触がなかった両者が交わってしまったことから、ストーリーが動き始める。
前作では絶対優位だった人間の地位が揺らぎ始めたところまでが描かれたが、本作では知性においても戦力においても、人類の側に優位はない。この映画で描かれるエイプたちの姿は、まんま人間たちの姿と合わせ鏡になっている。人間とエイプの力はほぼ拮抗しており、実はその均衡自体が、作品のキモなのだと思う。
というのも、明確な上下関係がないということはそこに交渉の余地が生まれる。そして、その交渉こそがこの映画に通奏低音するテーマなのだ。
「囚人のジレンマ」が教えるとおり、持続可能な交渉を成立させるには最低限の信頼関係が必要だ。集団の上に立つ者同士が、信頼と不信を行ったり来たりしながら、どうにか相手との関係構築に奔走する傍らで、下々のバカ、もとい考えの足りない者たちがそれを台無しにしてしまう(もちろん、彼らには彼らなりのいきさつがあるのだけれど)。
とくに、集団内で敵への憎悪を燃えたぎらせるため、起きてもいない罪をでっちあげるという開戦の発端は、東洋にあるどこかの国でもたびたび見られる光景である。
エイプ側の代表シーザーと、人間側の代表のマルコム(ジェイソン・クラーク、マルコムXとは関係あるのだろうか?)が個体間では打ち解けられたのに、集団同士としては後戻りできないところまで亀裂は入ってしまったところは、なんとも切ない。
前作に引き続き、シーザーを演じたのはモーションアクターの大御所アンディー・サーキス。
ただ、今回はエイプたちの動きよりもその表情に驚かされた。明らかに普通の猿とはちがう、知性を持っている雰囲気がありありと伝わってくる。それは、シーザーのどアップではじまる映画冒頭ですぐに気づくはずだ。
今回のシーザーは、完全に一人格をもった存在となっているといえる。クライマックスの「お前はエイプでじゃない」という言葉からは、「エイプ」が人間によってつけられた呼称以上に、彼らのプライド、尊厳の源泉となっていることが感じられる。
エイプたちの意思決定のプロセスが丁寧に描かれる一方、人間たちが雑に描かれていると考えるのは、鑑賞者が人間側だろうか。それにしても、次なる作品でさらに人間が追いつめられていくと思うと、ワクワクする一作である。
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