いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【ショートショート】ファッション喪デル

「あなた、起きて」
妻のサヨコの声でシゲオは目を覚ました。ベッドに横たわる芋虫のような身体を、ゆっくりと起こす。
今日は仕事だ。
ベッドを降り、鏡の前に立つという日課をこなす。
短い四肢がドラム缶のような胴体につき、その上に大きな頭が乗っかる。いつもと同じ醜い肉体がそこにはある。
極めつきは顔だ。世の中の3%ぐらいが「無骨」と表現するだろうが、あとの97%は間違いなく「ブ男」を表現するような、要はブ男である。


身支度を整えたところでインターフォンが鳴った。
モニターには付き人のトビタが映っている。いつもどおり、時間ピッタリの出迎えだ。
ドアを開けると「おはようございます」と、端正な顔でにこやかに挨拶してくる。
「おはよう。今日もよろしく」
シゲオは、トビタの8等身のスレンダーな長身を見上げるようにして答える。
サヨコの「いってらっしゃい」という甘ったるい声を背中に浴びながら、2人は玄関を出た。
リムジンのドアをトビタに開けてもらい、シゲオは後部座席にどっかりと座る。
「先週お伝えしたとおり、今日は14時からの撮影となります」
シゲオは「わかった」と答えた。



スタジオにつくと馴染みのカメラマンに出迎えられた。少し馴れ馴れしい男で、今日もハグをされ身長の低いシゲオは彼の肩に埋もれることになった。
挨拶もそこそこに、それぞれ撮影の準備に入る。


今日の撮影は、世界的有名ブランドの秋冬物の新作コレクションだ。
シゲオの周りを撮影スタッフが慌ただしく動き続ける。そんな中、彼は化粧台の前でされるがままの自分をじっと眺めている。
用意が整い、いよいよ撮影に入る。
ブランドの服に身を包んだシゲオがライトに照らされる。まばゆい光の中、胴長短足の肢体でいろいろなポーズをとる。我ながら気持ち悪いが、それが望まれた仕事なのだから仕方がない。
ふとカメラマン越しに、撮影を見守るトビタが目に入った。
シゲオも理解はしている。どんな服であろうと、自分なんかよりトビタが着た方がずっと格好がつくということを。
そんな思考が頭をよぎるといつも申し訳なくなるが、シャッターのたびにカメラマンが入れる「いいね!すごいよ!」という合いの手で我に返り、再びポーズをとることに集中する。
ドレスチェンジを数回行い、あわせて数千回のシャッターが押されたところで撮影は終了した。
これで数十万円のギャラがもらえ、拍手をされながらスタジオを出て行くことは、今でも慣れない。


トビタの運転で家路につくと、自宅がある高級マンションの前でサヨコが待っていた。
「あなた、お疲れ様」
「うむ」
シゲオが気のない返事をよこす。
「明日は、ファッション誌の取材です」
トビタがいつもどおり、次回の仕事についてアナウンスする。
「わかった。明日もよろしく頼む」
「トビタさん、お疲れ様」
「奥様、ありがとうございます。では」
そのときトビタと妻の間で、単なる会釈以上の意味を含んだ目配せが交わされたことを、シゲオは見逃さなかった。


シゲオは、自分の妻と付き人がただならぬ関係になっていることをすでに知っていた。今朝、妻が妙に機嫌がよかったのも、トビタが迎えに訪れたからだろう。
しかし、それでいいとシゲオは諦めている。
今の時代にファッションモデルをやるのは複雑だ。
ファッション業界では、ブ男であるがゆえにシゲオはもてはやされている。
けれど、社会全体の価値観が転倒した訳ではない。業界を一歩外に出ると、彼は元のブ男という地位に戻ってしまう。
モデルになる前とのちがいは財力の有無だ。その財力で、元女子アナのサヨコを射止めたといってもいい。
しかし、いくら相手が財力のある男であっても、四六時中その醜い顔と相対するのは苦痛である。
だから、サヨコはトビタと遊んでいるのだとシゲオは思っている。

トビタも、実は元ファッションモデルだ。業界では名の売れた美男だったが、需要の激減にともない事務所からお払い箱にされたのだ。
モデル以外に取り柄がなく、食うにも困っていたトビタを数年前にシゲオが拾ってやった。


明くる日、予告されていたとおり、シゲオはファッション誌の取材を受けた。内容は、シゲオのモデルになるまでのいきさつを語るというものだった。


就職活動をしていたとき、シゲオにファッションモデルになる気なんてさらさらなかった。選択肢から外したという意識すらない。自分の外見が人様の鑑賞に耐えられると思うほど、シゲオはおめでたい男ではない。

しかし、シゲオは一般企業にも全く引っかからなかった。外見を売りにする仕事にかぎらず、企業はどこも見栄えのいい美男美女をとりたがる。ブ男で、おまけに口下手のため面接で気の利いたことも言えないシゲオは、箸にも棒にもかからなかった。

就職が決まらないまま学校を卒業し、無職でブラブラしていた彼にある日、スカウトを名乗る男が声をかけてきた。
ファッションモデルとしてスカウトしたいという。
何かの冗談だろうとはじめは疑っていたが、清潔な身なりからは怪しさは感じられず、渡された名刺にはシゲオも知っている大手芸能プロの名前が書かれてあった。
冷やかし程度に喫茶店で話を聞いてみることにした。


スカウトの説明で、ファッション業界でコペルニクス的転換が起きていたことをシゲオは知らされた。
元来、モデルとはスタイル抜群の美男美女だけに許された、特権的な仕事であった。
しかし、ランウェイを颯爽と歩く彼らを羨望の眼差しで見上げていた一般大衆の中から、少しずつ疑問が広がっていった。
消費者はそれまで、モデルの着ている「カッコいい服」を気に入り、買いに走っていた。
だが、スタイルがよく、おまけに顔も整った人物が着る服なんて、どんなデザインだろうとある程度は「カッコいい服」になってしまう。
モデルの着用で頂点にまで持ち上げられた服への期待は、いざ自分で着てみたとき、脆くも崩れさる。

「服がカッコよく見えるのは、ただ単にモデルが着ているからにすぎないのではないか?」

疑問は少しずつではあるが、確実に広がった。
拍車をかけたのが、21世紀初頭にあったリアルクローズの流行だ。
パリコレモデルのような浮世離れした体型ではなく、消費者と同じ平凡な体型の女性たちが、モデルとしてランウェイを歩いた。彼女らが似合うなら自分だって大丈夫だろう、と消費者は安心して服を買うことができた。
21世紀中盤にはその傾向がさらに加速し、美男美女のモデルが駆逐され、醜男醜女のモデルが重宝される現実がやってきたのだ。


スカウトはここまで話し、例え話を始めた。
「シゲオさんは、深夜のテレビショッピングなどはご覧になりますか?」
「まあ、たまには」
「ああいう番組で、台所用洗剤なんかが売られていますよね?」
「はい、見たことはあります」
「そういう番組で、洗浄力の効果を示すといって、もし新品同様のピッカピカなお皿を洗う映像を見せられたら、どう思いますか?」
「まあ、それじゃあ洗剤の効果なんかわからないよって思いますよね」
その答えを聞くや、向かいのスカウトはテーブルを叩き、「そうです」と力強く同意した。
「そうなんです。それじゃ効果はわかりませんよね? でもそれが、20世紀までのファッション業界だったんですよ!!」
横を通ったウエイトレスが短い悲鳴を上げる迫力だったが、スカウトは構わず続ける。
「洗剤の効果を試すためには、ギトギトに汚れて触るのも吐き気がするようなお皿でないとダメなんですよ!!!」
ここまで語った数秒後、スカウトは焦って弁解し始めた。
「え、いや、あの、その、別にシゲオさんがギトギトに汚れて触るのも吐き気がするようなお皿だなんて言いたい訳ではなく、これは単なるたとえ話でして……」
2人の間に気まずい沈黙が漂ったが、十数秒後、
「俺、やります」
シゲオはぽつりと言った。
どうせ無職である。失敗したからといって失うものは何もない。
おまけに、モデルとは喋ることを必要としない仕事だ。口下手な自分にはうってつけではないか。試しにやってみて、ダメだったら元に戻ればいい。


話はトントン拍子にすすみ、シゲオはモデルとして最初の撮影に臨んだ。
今まで、目を背けられることはあっても注目をあびることはなかった自分の容姿に、その場所で一番の注目が集まるという体験は、シゲオにとって新鮮だった。
撮影を終えた数週間後、シゲオは自分がモデルとなった大型広告を街中で目にした。
内心は、プロの技で少しは加工され、カッコよくなった自分の姿を期待していたが、現物を見て愕然とした。
そこには、嫌というほど知っている、それ以上でもそれ以下でもないブ男の自分が写っていたのだ。
早くはずしてくれ! とその場で叫びそうになったがそういうわけにもいかず、シゲオは下をむき逃げるようにしてその場を去った。 
このとき彼は思った。本当に自分なんかがモデルなんかをやっていいのか? これは何かの詐欺やドッキリなのではないか? と。


しかし、詐欺やドッキリではなかった。シゲオが着用した小さなアパレルメーカーの服は、この広告がきっかけで飛ぶように売れた。
消費者たちはこういう。
「あれだけ酷いブ男が着て様になるのだから、自分が着ておかしなことになるわけがない」

目論みどおり、ブ男の着こなしに安心感を得た消費者が買っていったのだ。これが、シゲオの外見が世の中で役に立った初めての瞬間だった。

評判は業界内で瞬く間に広まり、彼のモデルとしての地位は着実にステップアップしていった。近年は、パリコレなど、海外のファッションショーでも常連になっている。



ある朝、シゲオは一人で起きた。
今日は休日だ。
サヨコは友だちと旅行に行くと言っていたが、たぶんトビタと一緒だろう。
鏡の前に立つ。
最近はお腹周りの肉がさらに厚みを増し、前髪も薄くなり始めている。妻とトビタのことで心労がたたり、肌もぼろぼろだ。
また稼ぎが増えそうだ、とシゲオはほくそ笑んだ。