いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

夢の中でサンデル教授にエッチな質問をされた話

昨夜にみた夢の話をしたい。


ぼくはきのう、夢の中であのハーバード大学のサンデル先生に会った。



やぁ、ユースケ。



カレー味のうんことうんこ味のカレー、みたいな選択のもっとずっと高尚なヤツを学生に投げかげるスタイルの講義で有名な、あのマイケル・サンデル先生だ。数年前に講義がNHKで放送され、頭がいいと思われたい日本人の間で大ブームになったのは、記憶に新しい。


お互いの近況や国際情勢についての話で一通り盛り上がったあと、サンデル先生は、おなじみの究極の問いを投げかけてきたのだ。


セックスはしないけど彼女になりたい女性と、彼女にはなりたくないけれどセックスはしたいという女性が自分の前に現れたら、どちらを選ぶか?



じゃあユースケ、どう思う?



キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
サンデル先生の代名詞、「どう思う?」である。

他の学生たち(夢だからいつのまにかいた)の注目を一手に引き受けながら、名指しで当てられぼくは必死に考えた。
恋愛することを重視するか、セックスすることを重視するかだ。一緒にデートしたり将来的なことを考えたりするとちゃんとつきあうことが重要だが、セックスができないというのは果たして耐えられるのか。また、セックスするだけの関係もすごく寂しい気持ちになるかもしれない。
そこでぼくは、あるアイデアを思い付いた。
「先生! 両方手に入れるというのはどうでしょう? 前者を恋人、後者をセフレにす……」

だめだ。



食いぎみに否定された。どちらか一つなのか。。。
しかし、考えていくうち、この2択はある状況を無視していることに気付いた。
それは、人間にも情というものがあるということだ。
セックスで始まった関係も、どちらかが恋愛感情をもってやっぱり恋人になりたいということはありえるし、セックスはしない約束で付き合い始めたとしても、執拗なアプローチによってなあなあになり、結局することになるのもありえるのではないか?

つまり、選択時点の条件だけに着目しても、無意味なのではないだろうか?
というか、そもそも相手の女性の外見とか性格とか、その他もろもろのスペックがわからなくては、選択しようがないのでは?
ぼくはそうした率直な疑問をサンデルにぶつけた。

すると……

……。










え、あ、なんかぼくマズいこと言っちゃいましたかね……?



……。


















無言ながら露骨にぼくへの嫌悪感を発するサンデル先生。
気まずい空気がたちこめた教室はざわめき出し、(なにこいつマジレスしてんのw)(うわぁ、まじつまんねー)(バカなんじゃない?w)(なにこいつ授業中にセックスとか言ってんのwww)といった学生たちの心ないささやきが、ぼくの心に突き刺さる。
ぼくに関する考えうるかぎりの誹謗中傷が一通り出回ったことを確認したサンデル先生は「では、来週はカントの自由意志について、もうすこし考えてみよう」とにこやかに言って教室を後にした。


ぼくの夢はそこで途切れ、今日が始まった。