いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】痴呆老人の不思議な存在感ーー映画「わが母の記」

小説家として財をなし、家族を養っているという自負のある伊上洪作だが、御年80になる実の母・八重に、痴呆の兆候がみられ始めた。同じ話を何度もするのである。洪作の家族はとまどいながらも、そんな八重の世話をする。母親が亡くなるまで10年間の、息子らの交流の日々を描く、井上靖による自伝的小説の映画化。

風光明媚な伊豆の渓谷と、60〜70年代の上流階級が住まうモダンな邸宅を舞台に描かれるのは、日常の中に自然と溶け込む痴呆である。そこに母親がボケた、という絶望感はあまりない。洪作らはときにとまどい、ときにあっけらかんと人を傷つけることを言う八重に腹を立てながらも、基本的には彼女と彼女の痴呆を優しく受け入れている。
このあたり、十分な資産と人手のある伊上家ならではの余裕であって、50代60代の妻が80の寝たきり母親の面倒を白目むきながらみているといったローン30年の2世帯住宅なんかだと、もっと悲惨かもしれない。

この映画に限らず、ボケ老人には不思議な存在感がある。彼らはそこにいるようで、実はそこにいない。彼らは記憶の中の自分の思い出に住まうからだ。そんな「別の世界の住人」である彼らと、同じ空間にいる周りの人間とのギャップが、彼らの存在を際立たせている。
けれど、痴呆老人と他の人間がまったく話が噛み合ないわけではない。ふとした瞬間に、彼らの意識化に「真理」が去来することがある。今作では、洪作と八重の間にはある過去をめぐる遺恨がある。洪作はある出来事を理由に母親を恨んでいるのだ。けれど、その背景には実は八重の側にもやむにやまれぬ事情があったことが、明かされる。それは彼女本人の口から語られるのだけれど、そこに息子に取り入ろうとか、大切にされたいといった打算はみえない。ふと意識化に浮かんできた真相がぽっと口をついて出ただけで、だからこそ我々は感動するのだ。

洪作を演じた役所広司横綱相撲で、三女の宮〓あおい、妹のキムラ緑子南果歩もいい。けれど、この映画で全部もっていくのは、やはり八重を演じた樹木希林。この人については本当にボケているんじゃないか、という危なっかしさがあってよい。本作は三国連太郎の遺作で、冒頭にちょこっとでているが、この後亡くなることを知っていると、地なのでないかと勘ぐりたくなる。
この2人の出ているパートに関しては、ドキュメンタリーの様相を呈し、緊張感がある。

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