いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

茂木健一郎の歌が頭から離れない

なんかもう猪瀬辞任で吹っ飛んだ感じもするんだけれど、一応取り上げてあげたほうがいいと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=e_FiNkyCYwQ:Movie
マスコミに告発を黙殺されたミスコン女性の窮状に、義憤にかられ立ち上がった茂木先生の渾身の歌唱である。


人からぜひ見てくれと言われてみたのだが、これには頭を抱えた。これがプロフェッショナルの流儀かと。
歌なのか念仏なのかもわからないブツブツ声、そして、画面の中でユラユラ揺れる50代の肉体のリアルである。なんだこの生々しさは。


ネットの普及で、不特定多数に対して表現することは、これ以上になく容易になった。われわれは検閲を経ない表現を手に入れたのである。
けれど一方、逆説的にわれわれは、表現を手に入れたゆえに「編集」や「ブレーン」という役割がどれだけ貴重なものかを痛感したんじゃないだろうか。
芸術家にしろ学者にしろ、ある分野に秀でた人は、全体的にみると「ぶっ飛んだ人」というケースが多い。そうした人がSNSに参戦した場合、何かと物議を醸し、元々の読者は「え、この人こんなだったの……?」という戸惑いを隠せないときもある。
けれどそのギャップは、SNSが特別彼らにおかしな振る舞いをさせているのではないと思う。むしろ、それまで彼らと彼らの読者の間に「編集者」が介在し、彼らの常人には理解し難い「ぶっ飛んだ部分」をマイルドにして、飲み込みやすくしていたと、いえるのではないか。
編集者もブレーンも介在しない結果、それが、このセルフブランディングという思想に真っ向から対立する動画なのではないか。


もしかすると、この動画のクオリティも茂木さんの計算で、注目するのはどちらにせよ茂木氏の術中にハマっているだけだぞ、という話もあるかもしれない。
けれど例えば、あえて脱糞をすることで人の注目を集めることに成功したとして、それでどれだけ本人がダメージを受けるのか、という話である。
被害女性への注目を集めるのと引き換えに、茂木さん自身が大事な何かを失っているような気がするのは、ぼくだけだろうか……。