いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

朝日新聞の投書に"団塊文体"を嗅ぎ取る

朝日新聞に寄せられた投書が話題になっている。

朝日新聞 投書
【どうかんがえたら 新幹線の三景】無職 男性 63歳
暮れの新幹線。相当の混雑なので指定車両に移ってみた。ここも満席だったが、 ふと見ると、座席に小さなバスケットが置いてあり中に小犬。隣に若い女性が座っていた。早速「ここ空いてますか」と尋ねてみた。すると、その女性は、「指定席券を買ってあります」と答えた。私は虚を突かれた思いがした。

改めて車内を見渡すと、多くの立っている大人の中、母親の隣で3歳ぐらいの男の子が座っている
座席もある。あれも指定切符を買ってあるのだろう。

仕方なくいっぱいの自由席に戻ると、ここにも学童前と思われる子が親の隣に座っていた。懲りもせずに
また「ここ空いてますか」と尋ねると、母親は仕方なさそうに子どもをひざの上に乗せ、席を空けた。
私はその座席で居心地の悪さを感じながら、この新幹線の中での三景をどう考えたらいいのか自問した。


http://digital.asahi.com/20121227/pages/shasetsu.html

気の毒なのでこのブログでは伏せたが、本名と年齢が明らかになっているこの人物の文章が、2ちゃんねるで袋叩きにあっている。
痛いニュース(ノ∀`) : 無職63歳 「新幹線で指定券買ってないけど座りたかった。仕方なく親子連れの子供の席を譲ってもらった」 朝日投書 - ライブドアブログ 痛いニュース(ノ∀`) : 無職63歳 「新幹線で指定券買ってないけど座りたかった。仕方なく親子連れの子供の席を譲ってもらった」 朝日投書 - ライブドアブログ

このなかなか斬新な乗車方法を紹介している筆者がちょうど「団塊の世代」ということから、2ちゃんのレスには「団塊叩き」も散見する。世代論にはあまり与したくないが、ぼくもこれを読んだときには、どうしても団塊世代の匂いを感じざるをえなかった。
でもそれは、この男性の行為が「図々しい」からだとか「自分勝手」だからだとか、そういうのとはちょっと違う。いや、そのニュアンスも含むのだけれど、「図々しい」だけなら、「自分勝手」なだけなら、どの世代にだっているだろう。

この文章に漂う団塊の世代っぽさ=団塊文体には、その「図々しさ」や「身勝手さ」の上から、さらに彼ら特有の自意識による"ひねり"が加えられている。

私はその座席で居心地の悪さを感じながら、この新幹線の中での三景をどう考えたらいいのか自問した。

お前はミスチルの歌詞かとツッコミたくなるような良いフレーズだが、それはともかく、この一文には"団塊文体"のエッセンスが濃縮されている。
団塊の世代を象徴するこの精神性を、ぼくは「独善的ナルシシズム」と名づけたい。ただ単に独善的なわけではない。彼らも自分が理解されず煙たがられているのはよ〜くわかっている。その上で、「オレをわかってくれるのはオレしかいないのさ(フッ」という夢想にふけるのだ。これこそが団塊の世代の「独善的ナルシシズム」だ。
ちなみに、団塊の世代のこの心性に気づくきっかけとなったのは、同じく団塊の世代幻冬舎を立ち上げた名物編集者、見城徹のエッセイ集である。この本は、何言ってんのおまえ物件としてなかなかの迷著なのでオススメ。

編集者という病い (集英社文庫)

編集者という病い (集英社文庫)

閑話休題。しかし、この「独善的ナルシシズム」だけなら可愛いもので、隅っこの砂場で遊んでおいてもらえばいいのだが、さらに彼らはそこに別の要素が追加される。それが「図々しさ」。もらえるものはもらうのだ。
物憂げに「どう考えたらいいのか自問し」ながらも、同時に子供に譲られた座席は辞退せずどっかりと腰を下ろす。ここが絶妙に団塊の世代っぽい!絶妙な団塊の世代らしさ!
というわけで、この文章は「けっして現状に満足はしてないけど、既得権益にはちゃっかり乗っとく」という団塊の世代特有の習性を見事に表現している。名文である。