いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「老い」について考えてみた(後編)〜『サマーウォーズ』見たよ編〜


ここまで書いてきたように、「一番しんどくなる時期」でありかつ「一番孤独になりやすい時期」である日本人の老後は、医療技術の向上によって、ありがたいことに天井知らずに伸び続けている。
その期間をいかなる形でまっとうするか。



そのことは、先に昨夜あったと書いた『サマーウォーズ』にヒントが隠されていたような気がする。


特に前半、主人公健二やヒロインの夏希に負けないくらい快刀乱麻の活躍を見せているのは、栄ばあちゃんだ。


だがしかし、注意深く彼女を眺めてみてほしい。すると、実はあのばあちゃんは「何もしていない」ということがわかる。
老人は非力で、実動力はないのだ。


いや、この言い方は正しくない。
正しくは、栄ばあちゃんは「他人をはっぱをかけて何かをさせるが、自分では何もしてない」のだ(一度長刀で侘助を殺しかけたが)。


栄ばあちゃんが劇中にて繰り広げていた行動を一言に換言すれば、それは後続世代への「伝承」にまとめられる。そのことは、OZの事態が現実社会に深刻な悪影響を持ち始めたのち、自室にて保管していた各界のエスタブリッシュメントたちの手紙や名刺をひっくりかえし、用いうる限りの人脈に黒電話をかけまくっていたシークエンスに象徴されている。



その人の引き際にもよるが、人が「現役」を終えるときはいつか必ずくる。
その後に続く「現役」以降の人生というのを考えるとき、それはきっと、この栄ばあちゃんの劇中にて行っていた後続世代への「伝承」に、ヒントが隠されているんじゃないだろうか。


「現役」を退き、老いゆく者に課せられた使命とは、おそらく「伝承」なのだ。


それだけに、あの気丈なばあちゃんが劇中にて最もショックを受けうろたえたのが、ふたたび家にあらわれた侘助から、自分が騒ぎをひき起こした張本人の一人であるということを直に告白されたときであったというのは、全くうなずける。

自分の育て上げた侘助という孫に、「現役」を退いた彼女に残された唯一絶対的な使命として成しとげたはずの「伝承」が、決定的にまちがった「負の遺産」となり戻ってきたことに文字通りしっぺ返しをくらい、彼女は愕然としたのだ。



当たり前だが、人間はいつまでも「現役」ではいられない。
あの手塚治虫でさえ、晩年の筆には絶頂期の冴えは影をひそめペン先が震えていたという。


いつかかならず、どの分野でも能力に衰えがきて、「昨日のパフォーマンス」がもう二度と戻ってこなくなる。
もちろん、それでも「現役」にこだわり続けることも可能だ。
しかし、もうこれ以上向上する見込みがなく、かつ日に日に目に見えて衰えていく自分と自分の能力を間近にしても、それでも白々しく「現役」を唱え続ける勇気が持てるだろうか。
少なくとも今の僕には持てそうにない。


だからこそ、「伝承」なのだ。
別にそれは、実の息子や孫でなくてもよい。
血が繋がっていなくともいい。
とにかく自分より若い世代に、自分がこれまで手に入れてきた能力(得てしてそれは先達からの「継承」によるところが多いのだが)を伝え、その成長に喜びを見いだす。


老い」ということ、「老成」とはそういうことなんじゃないかと、昨日映画を見ながら思ったのだった。


(完)