いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

誰も教えてくれない焼きおにぎり3つをチンする時間と人との距離感の話

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深夜に冷凍の焼きおにぎりを食べたくなった。買い置きしているものを冷凍から取り出してみる。4つは流石に多いが、2つだと物足りないお腹の具合で分かる。ところが裏面には3つの場合の温める分数が記載されていない。

仕方なく、2個の場合と4個の場合の分秒の中間ぐらいの「多分ここぐらいだろう」という目安をつけて3つをチンする。

別に、焼きおにぎりメーカーに文句が言いたいのではない。世の中、こんな風に「答えがないからちょうどいい塩梅を自分で予想して振る舞うしない」という問題が少なくない。ぼくはこれを、焼きおにぎりのエアポケット問題と呼んでいる。嘘だ。今考えた。

例えば、人間関係もそうだ。人間関係でも、こういうときはどういう距離を取ればいいんだろう、と目算でいい塩梅を探りながらやりくしていることが少なくない。

 

知人から聞いた話を紹介したい。その女性をAさんとする。Aさんはある趣味の同好会のようなものに入っており、その中で、BさんとCさんという男性2人が、些細なことでケンカになったという。BさんともCさんとも同じほどの距離感のAさんは、下手にどちらかに肩入れして変な感じになるのも嫌だから、とりあえず事態を静観していたのだそうだ。その対応は分からなくない。同じ状況ならぼくだってたぶんそうする。

すると、その揉めごとが冷めやらないままのある日、一方のBさんからAさんに対して個別チャットが飛んできたらしい。内容は、「最近、私のこと避けてますよね?」というものだったそうだ。

この話を聞いた時、Aさんがそのチャットを開いた瞬間に感じたであろう「だるっ!」という虚脱感、さらに少しゾワっとする怖さを、簡単に追体験できる。

AさんとBさんの間に特別な関係はない。あくまで単なる同好の士である。「私のこと避けてますよね?」は、その距離間の人に送るのには、ちょっと重たすぎる表現ではないだろうか? その焼きおにぎり、ちょっと温めすぎである。

Bさんはきっと、Cさんとの諍いが起きて以降、Aさんの態度にもやもやを感じていたのだろう(それがAさんが悪いというわけではない)。そのもやもやをどう晴らそうということになったとき、Aさんに直接「避けてますよね?」と送ってしまったのだと感じる。

だからといって、ぼくが、そのことをBさんに伝える機会を得たとしても、「え、何がおかしいんですか?」と言われたら、どうしようもない。焼きおにぎりなら、「ほら! これじゃ熱すぎて冷まさないと食べられないでしょ!」と言えるが、「避けてますよね?」について論理的に筋立て説明するのは難しい。

 

バーバルコミュニケーションでも、伝えにくいことはいくらだってある。しかし、殊にメールやチャットになると、「伝えにくいこと」を伝えるのは、めちゃくちゃハードルが上がる。その上、宛先が身内でないと、そのハードルは天井知らずに上がっていく。

原稿をいつまで経っても送ってこないライター、いつまでたってもアポの日時を送ってこない取引先、もしくは、依頼した仕事がいきなりポシャったとき。これらについて伝えるときは、うんざりするほど、よくわからない「距離」を図っている気分がある。

だからといって、適切な距離感の文章なんて、誰も教えてくれない。教えることなんてできないのだろう。正解なんてないのだ。強いて言うならば、それを受け取った相手がカチンとこなければいいのだが、そのラインを跨いでいなかったかどうかは、文面を相手に送るまで永遠に分からない。そのためだけに、言葉尻をいちいち弄くり回して、たった「1PV」の文章を編集している瞬間は、強い徒労感に襲われる。

文章に草=「w」を生やすのは、たぶん、その正解がない距離の目算を誤ったときのための保険だ。その距離感を誤ってつまずいて転んでしまったとき、草を生やしておかないとケガをしてしまう。予め草を多めに生やしておけば、目算が誤って倒れ込んだときのクッション代わりになるわけだ。

ということでみなさん、今日の結論ですが、深夜に冷凍の焼きおにぎりを食べるのはやめましょう。深夜の間食は肥満の素です。