最近、会う人会う人とドラマ『獣になれない私たち』(日本テレビ系)の話になるのだけれど、そこでたびたび「田中圭が怖い」という話になる。正確には、「田中圭がよくやっていそうな役柄」のことであり、実際のところは「田中“系”」になるのだが。
『けもなれ』の田中圭の「怖さ」
同作において田中が演じているのは、新垣結衣が演じるヒロイン晶の彼氏・京谷。京谷は晶の前職の同僚で、仕事で協力し合ううちに惹かれ合い、結ばれる。
京谷は大手デベロッパーに務め、稼ぎは少なくなさそう。派遣社員だった晶に対しても横柄な態度は取らず、リベラル(のように思える)。晶に対して声を荒げるようなことはなく、ぶしつけなわが母から彼女を守るような素振りもある。もちろん、晶のことを愛している。
夫に選ぶには申し分ないはず。
しかし、京谷が抱えているある問題のせいで一緒に住めず、2人の未来はお預けの状態となっている。
その宙ぶらりんの状態で、晶を待たせている京谷なのだが、それが田中系男子の「怖さ」なのである。
その「怖さ」が際立ったのが、先週放送された第3話。
4年も待たされ、さらにいろいろな問題も重なり、晶がついに京谷に対して2人の将来の話を京谷に投げかける。その際に京谷は晶に「別れたい?」と聞き返すのである。
ここでぼくは、「あー、これだわ。これが田中系の田中系たるゆえんだわ」と思った。
「別れよう」ではなく、「別れたい?」という問いかけである。
あくまでも選ぶのは相手であり、自分では選ばない。ここに、田中系男子の病理が隠されている。
どちらか一つを選ぶ気持ちはない。なぜなら、「選ぶ」ということは「選ばなかった方」が傷つけるからだ。田中系男子に「捨てる」ことで返り血を浴びるような覚悟はない。だからこそ京谷の口から出る言葉は、「別れよう」ではなく「別れたい?」なのである。
そして、そこには晶が「別れたい」と言えないことを知っている姑息さも隠されている。晶も「その聞き方はズルい」といらだったように返していた。
恐ろしいのは、こうした男に捕まった女性である。
一見優しい、思いやりのある男である。しかし、どこまで自分からは決断しないで先送り。
もし女性からロスカットしなかったとき、最後に泣きを見るのは、取り返しのつかない時間という資産を浪費してしまった自分なのである。
そしてその責任を田中系男子はたぶん取ってくれないだろう。
昔なら「年貢の納め時」だとかなんだと言って、そういう男も捕まっていたはずである。「結婚しなくても、別によくね?」が選択肢として成立してしまった今だからこそ、田中系男子は増えていくと思う。
『おっさんずラブ』との違い
同じ「酷い男」ならば、本作において松田龍平が演じている恒星のほうがまだマシである。恒星はプレイボーイで女性とワンナイトラブも辞さない。いわゆる「女の敵」である。
しかしそれは同時に、「あんなクズ男!」と潔く切らせてくれる、ということでもある。
大局的に物事を見れば、まだ彼のほうが「優しい」ではないか。
思えば田中は、今年上半期に席巻したドラマ『おっさんずラブ』において演じた「はるたん」もそうだった。吉田鋼太郎と林遣都という両手に花(???)を抱えて同じような役をやっていたのである。
ただし、あの作品では最後に「選んだ」ことにおいて、はるたんは「男」になるのである。
今のところ、「けもなれ」において、京谷は明確に「選ぶ」そぶりを見せない。それどころか、彼の周辺ではさらに問題が同時多発的に起きそうである。
誰でも優し良いのは誰にも優しくないのと同じ
田中圭が演じるのは、誰にでも優しい男である。
しかし、誰にでも優しいということは、誰にも優しくないことと同義であるということである。
女性陣は「選ばない男」田中系男子を早めに見抜く選球眼を磨くべきであるし、「女性を尊重し、"常に"優しい」という自覚のある男は、自分は田中系男子に一歩足を踏み入れていないかをチェックしておくべきである。