男子の貞操: 僕らの性は、僕らが語る (ちくま新書 1067)
- 作者: 坂爪真吾
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2014/04/07
- メディア: 単行本
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「僕らの性は、僕らが語る」というコンセプトのもと、NPOをとおして新しい「性の公共」を考えている著者が、男の射精観、オナニー観、セックス観のドラスティックな変革を呼びかけている。
まず坂爪は、われわれ男が一体「誰の手」で射精にいたるのか? という、過激というかユニークな問いを立てる。彼は自分の手ではない、というのだ。世の中にあふれるアダルトコンテンツ(DVD、マンガ、アニメ、性風俗サービスetc)は、実は国家によって直接的、間接的に生み出された性的な「記号」であり、われわれ男たちはそれらを"自由"に選んでいるようにみえ、選ばされているだけなのだ、と喝破する。つまり、われわれ男は「お上の見えざる手」によって射精させられている、というのだ。
「お上の見えざる手」がもたらす性的な快楽は、隠されたものを覗き見すること自体に生まれる「タブー破り型」の快楽にすぎず、AV女優においてデビュー時の報酬が最も高いことからもみてとれるように、徐々にすり減っていく使い捨ての快楽で、また別の対象を探さなければならないのだ、と筆者は語る。
ここまで読んだだけでわかるとおり、著者はやんわりとだが性風俗からアダルトDVDまで、「性の商品化」全般に否定的な立場をとる。
では、「オカズ」なしで自慰行為はどうするのか。過去の「豊かな性体験の記憶」があるならば、それを「元本」に自己発電できるのだという。
一方、男女交際についてはかつてより風通しがよくなり、出会いのインフラもほぼ整ったことから、現代社会を「歴史上、もっとも簡単に童貞を卒業できる社会」と分析する。本書は、そうした現代で「タブー破り型」の快楽でなく、社会的なネットワークの中で出会った特定のパートナーと時間をかけて育む「積み重ね型」の快楽を、提唱していく。本文中には書かれていないが、おそらくこれは「愛のあるセックス」というやつである。
結婚後にはセックスレスの問題も浮上するが、筆者は「予防できない」という前提を認めた上で(!)、それぞれのカップルが話し合い、性生活の「持続可能な循環システム」を作れば、結婚後も性生活は充実する、と主張している。
なんだか、低所得者が食するジャンク・フードを批判し、環境に優しいとされる高価な健康食品を食べて悦に浸るセレブリティ、の図と似ている気がする。背景には「それしか食えないんだよ」という経済格差があるのでないか。ただし、この本が見て見ぬふりをする格差は金ではなく、社会関係資本、もっとわかりやすくいえば人に恵まれているか、だ。「苦役列車」等で知られる西村賢太が本書を読んだら、どんな感想を持つだろう。
結婚後の話も同様で、具体案も乏しく性生活の「持続可能な循環システム」を唱えるのは、満足な対案も出さずに現行のエネルギー政策を批判する人々と、近似する。
また、裸が価値を持ったのは近代以降であるという主張をしているが、江戸時代には裸は恥ずかしいものでなかったという説は、比較文学者の小谷野敦氏が批判しており、再検討する必要があるだろう。
論争的で、賛否の別れる主張である。先述したように個人的には首肯できない箇所もあるのだが、それでも人に読ませたくなる一冊であることに変わりない。