いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

例のただ前を向いて進む国民的アイドルグループについて考えたこと

なんか、いまさらすいませんなんですけど。個人的に今回思ったことをば。


けっこう揺れていたのですよ。解散した方がいいのか、それとも存続するべきなのか。この件に関して、著名人もいいこと言っていました。

例えば笑福亭鶴瓶。15日の「A-Studio」(TBS系)に香取慎吾がゲストで出たときです。鶴瓶はこのとき、アフタートーク「SMAPは日本のエンターテインメントの特別ですよ。SMAPはSMAPだけのものじゃないという自覚を本当に持つべきやなと思います」といっている。これ、今回の報道が出る前だったんですが、めちゃくちゃタイムリーでした。


アイドルについて考えると、少し前ですが、近藤真彦のこんな笑い話をしていたのを思い出します。

近藤は、以前コンサートでも同様のことを口にしたそうで「オレはスーパーヒットいらないから。ただいい曲を歌い続けていくよ」「どうしてかわかる?オレは(すでに)ヒット曲いっぱいあるから」「何が武器かって、俺のヒット曲は1曲や2曲じゃないよ。すごいいっぱいあるんだ!」と観客を前にして自慢したそうだ。

ところが、観客のファンからは「アタシたちがヒットさせたんだ!」との言葉が返ってきたというのだ。

ファンから返ってきた思わぬ正論に、近藤は思わず「どうもすいません!確かにその通りで!」と謝った
近藤真彦 コンサートでファンからの正論に思わず謝罪「その通りです」 (2015年12月5日掲載) - ライブドアニュース

スターはなにも自足しているのではない。スターをスターたらしめているのはファンなのだ、ということを教えてくれる、マッチ流の「すべらない話」です。SMAPあってのファンでなく、ファンあってのSMAPなのです。


その他にも、松本人志なんかも絶対解散しないほうがいいなどと強弁したり。そういうのを眺めると、ああ、例の国民的アイドルグループは本当に愛されているし、いなくてはいけないのかもしれないなあとも思えてきます。


でもやっぱり、昨日の生放送での憔悴しきった4人の姿を目の当たりにしたら、なんか心のなかでガタガタガタと解散したほうがいいのでは? に傾いてしまいました。

皮肉なことに、先に引用した鶴瓶の言葉は、全く違う意味合いにおいて当たっています。「SMAPSMAPだけのものじゃない」という言葉はまさに、SMAPSMAPのものではなく、すべては事務所の生殺与奪なのだという意味において当たっている。


今回の生放送について、ぼくはAKB48峯岸みなみ丸刈り騒動を思い出しました。いまでも、彼女の動画が上がったときのことは鮮明に覚えています。Twitter上にYouTubeのリンクが貼られて見に行ったら、え……と絶句してしまいました。

今回の生放送と例の峯岸の丸坊主にはふたつ、共通点がある。

ひとつは、それまでわれわれがアイドルのギミックとして楽しんでいたものーーAKBでは「恋愛禁止」という“条例"、SMAPにおいてはグループ内の人間関係、あるいはジャニーズ事務所内の派閥争いという文脈――が、暴力となって回帰してきたところです。
そしてもうひとつは、ファンと一般層の乖離です。峯岸についてもファンと一般人の間で反応がわかれましたが、今回についても、一般層がドン引きしているのに対して、ファンの間では寿ぐ声が思いのほか多い。


リテラシーがないのか、それとも、本心では知っていているけど見てみぬふりをしているのか。それはわかりませんが、少なからぬファンは、今回の放送に好意的です。
なぜそこまで、5人が5人のままでいることにこだわるのでしょう。「関係萌え」(キャラクターとキャラクターの関係そのものに萌える)といった言葉でくくられるのは心外でしょうが、こうまでしてグループでいることにファンがこだわるのは、5人でわちゃわちゃしているのを見ていて楽しい、いざとなったら息が合う5人、そうした理想像に萌えるからというのは偽らざる事実でないでしょうか。

けれど、今回の生放送はそれをすべて過去のものにしてしまった。

突き詰めるとこれは、ファンとは何かという問いにまで行き着きます。無理矢理にでもグループがグループでありつづけることを願うのがファンなのか。それとも、たとえ5人が瓦解したとしても、各メンバーが幸せになることを願うのがファンか。
今回の件で、5人は重い十字架を背負いました。それならばせめて、ファンの側も、その問いを考えつづける責務があるのでないか。そう思えてならないのです。