いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】弟の夫/田亀源五郎

マイノリティを差別してはならない――それは当たり前のことです。けれど、そうした寛容さが思いのほかもろいことも、ぼくらは肝に銘じておくべきだと思うのです。
たとえその当事者に対しては寛容に振る舞えても、それだけで「自分に油断」することは禁物だと思うのです。

本作『弟の夫』は、ゲイ・エロティック・アーティストを名乗る田亀源五郎氏による作品。その1巻に、そのことを鋭くいぬいた箇所がありました。主人公の弥一には、カナダへ渡りそこで亡くなった双子の弟がいます。弥一はストレートですが、弟はゲイで、カナダで結婚した夫マイクがいる。マイクは亡き伴侶の母国である日本を訪れ、義理の兄にあたる弥一とその娘の夏菜との共同生活が始まります。

天真爛漫な夏菜が仲介に入ることで、弥一は少しずつマイクに心を開き、彼を理解をし始めます。そして、あるときから疎遠になっていた弟についても、思いを巡らします。しかしそんな弥一は、思いもよらぬことで彼自身の中にあるのっぴきならない感情を自覚することになります。

彼は、通りすがりの知人にマイクのことを「弟の友人」と紹介してしまうのです。あれだけマイクが、リョージと自分との関係を愛情で結ばれているものだと主張していたのに。とっさのことではあったけれど、「友人」発言に弥一自身が深く落ち込むのです。

これです。「わたしはあなたを受け入れる」といっても、それはまだ二者間での話です。実はその下の句には「でも他の人は受け入れないだろう」という諦めや「でも他の人に知られたくない」という羞恥心が隠されているかもしれない。第三者を介することで、図らずともその人のマイノリティに対する一筋縄に行かない思いが露わになる――そのことをこのシーンは描いているように思えます。

寛容であることそれ自体には何ら罪はありません。けれど、そうした自分に酔いしれることで、かえって思いもよらぬほの暗い自分の感情に出会い、しっぺが意思を食らう。そういうことの怖さに、ぼくはこのマンガで気付かされました。