いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】フランス現代思想史- 構造主義からデリダ以後へ/岡本裕一朗

日本のニュー・アカデミズム(通称ニューアカ)以降の思想に多大な影響を与えたフランス現代思想。本書は、真性から似非まで日本のインテリが一度は通るかの思想群を、一冊にまとめて紹介しようという大胆な試み。
一体フランス現代思想というものが、思想史においてどのように位置づけられるか、そして、彼らは何を言いたかったのかを、約260ページで大急ぎで概観していく。
「5人の構造主義者」ともてはやされたレヴィ=ストロースラカン、バルト、アルチュセールフーコーらに始まり、ドゥルーズ=ガタリデリダなどのその後の思想家へと展開していく。


冒頭から、もし自分だったらと思うと死ぬ程恥ずかしい「ソーカル事件」を取り上げるなど、著者は一面的に彼らを「かっこいいだろ!」と持ち上げるわけではない。
ソーカルに「ファッショナブルなナンセンス」だと叩かれたそれらをなんとか意味の通る論理に翻訳しながら、同時にちゃんと問題点も指摘している。フーコーの権力批判が広がりすぎて収集つかなくなったあたりなど、まっとうな指摘に思える。
また、こうやってまとめてみると、多くの思想家が自身の思想を「未完」のまま死んでしまったケースが多い、というのもよくわかる。


この本で一番面白かったのは、構造主義ポスト構造主義の流行に発信国のフランスと日本でかなり時間差があった、ということ。フランスでは「ソーカル事件」なんかよりも、日本のニューアカブームよりももっと前に、それらはフランスの思想界隈の傍流に追いやられていたという。
きっかけは71年に出版された『収容所群島』において、ソルジェニーツィン社会主義体制の残虐性を暴露した「ソルジェニーツィン事件」で、これによりマルクス主義への幻滅がフランスで広がり、結果的にその影響下にあるポスト構造主義も求心力を失う。

さらに追い打ちを掛けるように、“新哲学派”のリュック・フェリーらが『68年の思想』において、構造主義者・ポスト構造主義者の「68年の思想」が、現実の「六八年五月」とは正反対の、見当外れの方向へ走っていたとして攻撃する。

68年の思想―現代の反 人間主義への批判 (叢書・ウニベルシタス)

68年の思想―現代の反 人間主義への批判 (叢書・ウニベルシタス)


フェリーらによると、実は「六八年五月」の革命が人間の主体、個人を再評価する試みであって、システムの側に理があるとする「68年の思想」は時代に逆行する、というのだ。
このあたり、なぜ「68年の思想」ではなく「六八年五月」が正しいことになるのかという理路は、この本だけではわからない。
が、少なくともこうした展開が、日本で彼らの紹介者である浅田彰らが登場するはるかに前にあったというのが、非常に面白い。もう本当に、思想もファッションみたいに流行り廃りにすぎないじゃないかという気がしてくる。


もちろん260ページあまりで、かゆいところに手が届かないという意見もあろうが、興味のある人は手にとってみて損はないだろう一冊だ。