いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

記念Suica騒動にみた我ら尊大な“消費者さま”

すでにマスメディアでも大々的にとりあげられ、もはや何周遅れなんだというこの話題。

 JR東日本が東京駅開業100周年を記念し、20日午前に限定販売したIC乗車券Suica(スイカ)をめぐり、東京駅丸の内南口の窓口に購入希望者が殺到した問題で、同社は安全を確保するため約2時間半で販売を中止した。

東京駅の100周年記念Suica販売中止に怒りの声「JR許せない」 - ライブドアニュース


現場の様子を報告するTwitterその他の投稿がまとめられており、画像・動画で当時の異常な状況が伝わってくる。

【これはひどい】東京駅100周年記念Suica 購入出来なかった人が罵声・暴動で東京駅がカオス状態 - NAVER まとめ


この件について、コラムニストの小田嶋隆氏のツイートが達見だった。


なるほどと膝を打ったのだが、この投稿を読んだとき、奇しくも最近読み終えたある新書を思い出した。


タイトルのとおり自己愛について、精神分析社会心理学的な知見を援用して解説する本なのだが、その中に他人との間で生じる軋轢「対人葛藤」を扱った章がある。


本書によると、「対人関係」は知人のみならず、見ず知らずの人間とのちょっとした出来事でも生じるものだという。

些細な葛藤例だが、「レジの店員が後からきた客の注文を先に処理した」というものがある。確かに、こうした目に遭えば、誰でもあまり良い気分はしないであろう。しかし、なぜこんな些細なことが葛藤の原因になるのだろう。
p.171


ここでまず考えられるのは、「それがルール違反だからだ」という原因だ。
しかし、筆者はそうした「ルール違反」そのものは「目くじらをたてるほどの重大な違反なのだろうか」と疑問符を付け、それが不快感の一因にすぎないと指摘する。
そしてこのレジの例においても、キーとなるのはこの本の主題となる「自尊心」なのだと、主張している。

店員が後からきた客の方に応対したことは、先にレジに並んだことで発生した自分の優先権が店員によって無視されたことを意味する。客としての権利が無視され、その結果、プライドや自尊心が傷つけられたことが、この状況に対する人々の葛藤反応を促す最大の心理的要因である。
p.172


ここで興味深いのは、自尊心というのは相対的なもので、その場その場に応じて変化するということだ。「ルール違反」をされて激怒する場面があれば、まぁ仕方ないかと流してしまえる場面もある。
ではその違いは、何なのだろう?
筆者は、我々がその場での自分の役割や地位から、自分がどれぐらいそこで尊重されてしかるべきかの期待値を、あらかじめ形成している(p.173)という。
つまり、自分の地位が高く、重要な役割の場所であればあるほどその自尊心は些細なことで傷つき、自分の地位が低く、さほど重要でない役割の場所であればあるほど、その自尊心は些細なことでは傷つかない、というのだ。


今回の騒動でも、禁止されていたはずの徹夜組があろうことか真っ先に購入し、そのあと販売中止となった、という「ルール違反」が経緯にはある。
けれど、この本の説が有効で、なおかつ応用できるとするならば、重要なのは「ルール違反」それ自体ではない。


そうではなく、その「ルール違反」によって実は毀損されていた「自尊心」が、いったいどの地位に据え置かれているのか、ということだ。
ここまで書けば、もうおわかりだろう。
今回の騒動で対象となるのは、ぼくらの「消費者としての自尊心」だ。
つまり今回の騒動からわかるのは、ぼくら「日本の消費者の自尊心」がいかに尊大で、いかに些細なことにも我慢がならないか、ということなのだ。
ほとんど罪のない現場の駅員に無邪気に罵倒を浴びせることができるのは、消費者という立場になったときわれわれ日本人の自尊心がそれだけ肥大化するということと同義だ。
冒頭の記事で紹介されている現場にいた人間の「記念すべき100周年の日をぶち壊した」という言葉には目を疑ったが、「ぶち壊した」ことについて彼の言葉がまるで他人事に聞こえるのは、「消費者」というほぼ無敵の立場からの発言であるために他ならない。
これが日本特有のものなのか、はたまた消費社会が行くところまで行った先進国ならどこでも確認される症状なのかは、また別の話になるが。


今回の騒動について、JR東日本側の“読みの甘さ"を指摘する声も出始めている。
禁止していたはずの徹夜組の購入をまんまと許してしまった瑕疵がデカいのは、否定できないだろう。もちろんそれはわかる。
けれど、JRだけを悪者にするなら、「主催者側の運営がマズければ群衆が暴徒化しても仕方ない」という話になってしまう
主催者側がマズいからといって、暴徒と化し、駅員に罵声を浴びせたり、ペーパークラフトを破壊したりすることはいくらなんでも免罪できないだろう。


この騒動で唯一素晴らしいと思ったのは、当の記念Suicaが現場で略奪にあった、という情報はまだ入ってきていないことだ。このあたり、今回の騒動で著しく毀損したはずの日本人の民度(とかいう謎概念)の汚名をすすぐことになったのかもしれない。

しかしそれも、買うからこそ誇示できる「消費者としてのプライド」が成せる技だとしたら、皮肉な話ではあるのだけれど。