いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】女は笑顔で殴りあう マウンティング女子の実態/瀧波ユカリ・犬山紙子

女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子の実態 (単行本)

女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子の実態 (単行本)

内容紹介
私の方が上ですけど?
「私の方が立場が上! 」と態度や言葉で示すマウンティング女子。肉食女子vs草食女子、既婚女子vs独身女子、都会暮らし女子vs田舎暮らし女子……。「女の戦い」の実態に、赤裸々な本音で鋭く迫る!

マウンティング〔mounting〕
サルがほかのサルの尻に乗り、交尾の姿勢をとること。霊長類に見られ、雌雄に関係なく行われる。動物社会における順序確認の行為で、一方は優位を誇示し他方は無抵抗を示して、攻撃を抑止したり社会的関係を調停したりする。馬乗り行為。(『広辞林』より)

【目次】
第1章 マウンティストは笑顔で殴る
第2章 こんなにいる! ○○型マウンティスト
第3章 恐怖! マウンティングのなれの果て
第4章 マウンティングの「攻め」と「受け」―その関係と傾向
第5章 マウンティングの回避法

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会話の中でついついやってしまう「マウンティング」について、漫画家・瀧波ユカリとエッセイスト・犬山紙子が語り合う対談本。
「マウンティング」とはなにか。それは、瀧波さんが、楽しかったはずの女子会のあとに何故だか残った「モヤモヤした気持ち」が、発端だそうだ。

あのモヤモヤはいきなり相手から「自分の方が上!」ってアピールされることに対する動揺だったり、悔しさだったりするんじゃないかって気付いて。そのアピールを「マウンティング」って名付けたら、いろんなことが見えやすくなりました。(…)女子同士のマウンティングって本当に、親密なムードを保ちながら行われるからとても見えにくいんですよ。

pp.20−21

本書はコミュニケーションにおける「マウンティング」の実態、マウンティスト(マウンティングしてくる人)を種類別に紹介し、ケーススタディによるマウンティングの解説や、回避法まで語り尽くしている。

私男だけど、この概念にはなるほどと膝を打つものがあった。基本的には女同士の会話が想定されているためか、ある程度距離を置いたところからニヤニヤしながら楽しめたが、男同士の会話でも当然にようにあり得る。多くの人がされたことがあるし、またしたことのあることなのではないだろうか。
一方、著者2人には勇気があるなぁとも思った。対談形式なのは確信犯なのか定かではないが、結果的に本書は「コミュニケーションについてのコミュニケーション」となっている。当然ながら、この対談内容から「マウンティング」の事例が見つかるかもしれないのである。個人的には女性2人の対談という形式自体で火薬の匂いが香るが、本書はそういう意味でもスリリング。


マウンティングのような物言いにフォーカスが当たることは、ネットを中心に広がる「自意識の背比べ」文化や、いわゆる「上から目線」に関しての敵意を含む注目が集まっている状況と、分けて考えることはできないだろう。「ミサワ」的な物言いにみなが敏感になっているからこそ、以前からあったそうした物言いが、今まさに「マウンティング」と名付けられ、脚光を浴びているのではないか。また、反感をもたらす物言いのニュアンスを解剖するという点では、一部で活況する「釣り解説」的な側面もあるだろう。


マウンティングが興味深いのは、別に嫌いなわけじゃない、むしろ仲の良い知人に対して「する気はなかったのについやってしまう」からだ。
どう思われてもいいような相手へのマウンティングは、むしろ旧来の動物行動学的な意味で理解しやすい。そうではなく、基本的には好きだし、これからも仲良くして行きたい相手にさえ、ついつい欲がでて我々はマウンティングしてしまうのだ。
これは何故だろう。

そこには、いま流行りの承認欲求(認められたいという欲)があるのではないかと思う。自分で自分を十分に認めてやれないからこそ、「この人には認められたい、褒めてもらいたい」という欲が出る。それがちょっとでも会話に出てしまうと、すごーく嫌みなマウンティングとして表出してしまうのだ。
ここで我々は知るのである。マウンティングによる承認欲求の充足は、マウンティングされた側の自尊心を毀損することと不可分であることに。ああ、なんと非情な承認経済であろうか。


マウンティングをそのまま受ければモヤモヤするし、しかえせば終わりなき戦いになる。本書はそうしたマウンティングの袋小路に、いくつかの処方箋を提示する。
興味深いのは、ヤンキーは他のクラスタからマウンティングされっぱなし、という指摘(pp.238-241)だ。彼らは充足している分、他人の優れた所を手放しに喜んでくれる。それに比べ、我々サブカルクラスタが、どれだけみみっちいか。先月公開されていたこちらの漫画が、それを端的に指摘している。
【まんが】初対面のサブカルの互いの知識の探り合い | オモコロ
外見に反して、サブカル男子は上か下かにこだわるマッチョ志向なのである。


正直なところ、マウンティングはニュアンスの問題であり、どこからがマウンティングなのかと明確に定義はできない。「セクハラ」と同じで、受け手が「された!」と思ったら「マウンティング」だし、思わなければ「マウンティング」にならない。
そうした微妙な「ニュアンスの問題」のためか、AmazonレビューやTwitterでは、2人のしゃべっていることが理解できないというコメントもちらほら見る。分かる人には分かるけれど、分からない人にはさっぱり分からない。それぐらい微細なところで遊んでいる印象がある。
ただしこの問題に限れば、「マウンティングを知っているという人が、知らない人にマウンティングする」ことは、不毛だろう。この話題に関して最大のピットフォールは、「マウンティングという話題でマウンティング」してしまうことである。情けないことにぼくも、この本を人に薦める際に何度もマウンティングをかましてしまった。


そんな風についついしてしまうマウンティングだが、自分の中で相手より「上だ」と思っても、それは「お前の中ではな」案件だ。そんなことにかまけている場合があるなら、手を動かすなり足を動かすなりして、実のある活動に精を出した方がよい。そのことは、強調してもしすぎることにはならないだろう。