いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

菅直人氏と映画「マイ・バック・ページ」の時代

昨夜、菅直人のネタブログが面白いという噂を聞きつけみに行ったら、実際に面白かった。

 みのもんた氏は汚染水問題など原発問題で東電と安倍総理を厳しく批判していた。この発言に対して原子力ムラがみのもんた氏失脚の陰謀を仕掛けたという説が流れている。
みのもんた氏に対する陰謀説|菅直人オフィシャルブログ「政治に市民常識を!」Powered by Ameba

姑息なのは、断定はせずにおわせる程度にとどめているところである。では、そんな「説」がどこにあるのか。限りなく菅氏の頭の中という説の可能性が高い気がするのである。こういう文章は、実は今まで菅氏に親和的だった人ほど、より深く心に傷を負うのではないだろうか。いいね!が数十個ついているのは気がかりである。


奇遇にも最近、『マイ・バック・ページ』という映画を観た。

マイ・バック・ページ [DVD]

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川本三郎の回顧録を原作にした作品で、69年から72年にかけての学生運動を、その熱に浮かされた新聞記者の視点から描いている。主演は妻夫木聡松山ケンイチのカップリング、もといコンビ。
公開当時のキャッチコピーは「その時代、暴力で世界は変えられると信じていた」というものだったそうで、軽薄な青春映画かとおそるおそる観たが、ぜんぜんちがった。おもしろかった。原作未読なのでどこまで忠実かはわからないが、この映画で描かれた時代、たぶん菅さんみたいな若者がいっぱいいたのだろう。


この映画、注目すべきはマツケンの演じる梅山(本名は片桐)という革命青年の生態である。妄想を真顔で熱意を込めて話し、絶対に自分の間違いを認めないのだが、こうした特徴がカルトの教祖の大前提なのだと思う。

興味深いのは、彼が組織の内外に向けて2種類の「陰謀論」を巧妙に使い分けていることだ。
まず内部で批判されたとき。ディベートで言い負かされそうになり、答えに窮したとき彼は、相手の論者を「さてはスパイだな?」と内部の人間たちへ断定する。スパイだからこそ、組織内に混乱をもたらしているのだというわけだ。批判されればスパイといって問い詰めればいいのだから、楽な仕事だ。

一方、妻夫木演じる新聞記者の沢田に、彼がついていた大ぼらを暴かれそうになった。彼はもっと多きなセクトの分派だと名乗っていたが、それは調べていくと根も葉もないウソで、経歴詐称だったわけだ。沢田にこのことを問いただされたとき、彼はどうしたか。親和的だがあくまで外部の人間である沢田に対し梅山は、それは内部で対立する組織が流したデマであると説明。「あなたに内部の事情がわかってたまるか」と、むしろ妻夫木を簡単にダマされたことで叱責する勢いなのである。


梅山を怪しいと思いながらも、どうしても見捨てきれない沢田がずぶずぶ引っ張られていく様は、まさに男女の関係のようなところがある。
それでも決定的な事件が起こり、沢田の頭にかかっていたモヤはようやく晴れる。梅山には思想的な中身なんてカラッポで、運動はファッションにすぎなかったことを知ってしまうのである。彼が梅山に向ける「きみは何者なんだ?」という問いは、悲痛さに満ちている。


取調室でも延々と責任逃れの言葉をつらつら並べ立てる梅山のグロテスクな様は、もはやそれが芸ではなく、業に近いものなのだと思わせるものがある。彼はおそらく一生、立場を引き受けないんだろう。
現代でも、一部政治団体のリーダーや、一部菅氏、一部山本太郎氏などを務めるには、こうした素質が必要なんじゃないかと思う。彼らのしゃべりの即興芸と、彼らが魅力に満ちているのは、確かなのだと思われる。しかし、魅力的な人物が必ずしも正しいわけではない。


脇を固める俳優陣もよい。沢田の先輩記者の飯島を演じたあがた森魚に、山本義隆をモデルにした東大全共闘議長の長塚圭史、それから「革命は娯楽や」といってのける京大全共闘議長を演じた山内圭哉の妖しい魅力にも引き込まれた。
監督の山下敦弘の「天然コケッコー」から入ったという人の中には、イマイチと思う人もいるかもだが、これはこれでオススメ。