最近、仕事終わりに映画を観て帰ることがあります。嫌なことを忘れてスカッとするのが目的の一つではありますが、たまに、映画の内容にかえって気が滅入ってしまうことも。本作もそのひとつに数えられるかもしれません。
「ティエリー・トグルドーの憂鬱」、母国フランスで100万人を動員したという社会派ドラマです。タイトルと同名、ティエリー・トグルドーという失業中のおっさんが主人公。渋谷の映画館で夜に見たのですが、結構入ってました。ちょうどティエリーさんと同じぐらいのおっさんが多かった。身につまされるところがあるのでしょうか。
再就職を希望し、真面目にはげむティエリーですが、国の用意した復職プログラムは、どこかちぐはぐ。彼の復職はなかなかうまくいきません。元同僚たちは企業の解雇を不当だとして戦う気満々ですが、ティエリーには精神的にも経済的にもそんな余裕はありません。彼は、妻と障害を持つ息子を養わなければならないのです。もう少しでローンを払い終える持ち家も、売却の危機に晒されることになる。
そんなティエリーが社会から仲間はずれになっている様子は、彼が妻と参加したダンス教室の印象的なシーンで表現されます。
その後ティエリーがようやくありつけたのが、これまたなんともいえないスーパーでの仕事です。それは、万引きGメンと従業員の不正を密告するスパイを合わせたような仕事でした。人を疑ってかかることが必須の仕事をとおし、次第にすり減っていくティエリー。なけなしの彼の尊厳が、彼に取らせた行動は、ぜひ劇場で見てもらいたい。
母国フランスでヒットしたという本作ですが、言わんとしているのは非常にオーソドックスな「疎外論」的な問題だと思いました。人が人として扱われず、まるでいつでも取り替え可能な工場機械の一歯車のように扱われる事態。それが批判されてしかるべきかもしれません。
ただ一方で、本作の「正義」に独善的なものを感じてしまうところもあります。なにせ、従業員サイドの不正は事実なのですから、ティエリーの最後の行動は、ともすれば身勝手な職場放棄に近いとさえ言えます。
しかし、「公正さ」とはまた別の、彼自身の正義というならそれはそれでまた正しいのかもしれません。クライマックスで、一度も振り返ることないティエリーの後ろ姿は、映画史に残るくらいカッコいいです。