いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ディテールに引き込まれていく映画 〜細田守『おおかみこどもの雨と雪』批評〜

時をかける少女』『サマーウォーズ』などで知られる細田守監督の最新作。
人間社会にまぎれひっそりと暮らすおおかみおとこと結ばれた女性花が、彼の亡き後、彼の血を受け継ぐおおかみこどもの我が子たちを優しく、しかしたくましく育てていく様子を描くファンタジー映画。

時間を忘れて楽しめた、その理由は…

ぼくは比較的によく映画館に行く方だが、飽き性なのか観ている間もけっこう時間を気になってしまう。
しかし、今回はめずらしく気にならなかった。それだけ映画に引き込まれていたといえるのだけれど、一番の要因は背景描写だ。

全編にわたり、ディティールまで細かく丁寧に描かれていく。
今回特に目を見張ったのは実写と見まがうような物体の質感だ。
窓辺の牛乳瓶、校舎のリノリウムの床、使い古され表面が削れた勉強机……、もう数え出したらきりがないほど、そうしたものにあふれている。
それが、フェティッシュな視覚的欲求を充足してくれるのだ。
言ってしまえば、話そっちのけで楽しくなってくる。


後半からうってかわり、のどかな田畑や荒涼とした山々など、雄大な自然が描かれていく。
後に、こうした自然の姿が物語上あるキャラクターの重大な選択の背中を押した一因にもなっているのだが、彼がそうしたくなることにも説得力が十分ある。
それくらい、描かれたものであるにも関わらず、この自然はすてきで、守っていかなければならないと思わされてしまうのだ。
だから、もしこの映画に少しでも興味ある人なら、ぜひ劇場で観に行くべきだと、ぼくは勧めたい。劇場の大画面だからこそ、それは説得力が出てくるからだ。

アニメのディテールというのはそのとおり些細なものではない。
表情ゆたかなそれは、物語の本筋とかかわりなく観客を引き込んでいく力がある。
そのことにこの映画は気づかせてくれた。

個人的な見所は前半30分!

ストーリーの見所は、個人的には前半の30分にやってくると思っている。
というのも、この30分は「過去形で語られる幸福」だからだ。ぼくはこの「過去形で語られる幸福」につくづく弱い。
似たところで言うと、『カールじいさんの空飛ぶ家』の冒頭を思い浮かべてもらいたい。
あと、例えるならこういうのや、

こういうのに弱い人。

こうした「過去形で語られる幸福」にぐっとくる人は、この映画の冒頭30分にはやられるんじゃないだろうか。


加えて、注意してほしいのは、この冒頭の回想シーンは恋愛についてのある一つの深い洞察にもなっている。
この映画において、恋愛とその予感は、気を抜いていたら見逃してしまうかもしれないような、ある些細な仕草に込めている。
恋愛が萌芽するとき――それは日常のほんのささいな、ふとした瞬間に、今そこにいない相手を思い浮かべてしまう、"アレ”なのだ。
そんな深い洞察が、この映画の冒頭30分には込められている。


この二つのことからも、興味があるという人はぜひ劇場に足を運んでみてほしい。


※ここからはネタバレゾーン!!(ここからは観たあとにぜひとも読んでもらいたい!)









底なしの(底が抜けたような)母性には閉口……

時間を忘れて楽しめた、といったが、ストーリー的に100%納得できたかというと…首を傾げざるを得ない。
その最大の要因は、この二人のおおかみこどもの母親である花のキャラクターだ。
この花はとにかくすごい。二人の父である夫の死後、底なしのような母性と、鋼のような自己犠牲の精神で、おおかみこどもたちを育てていく。
もうほとんど、自分の人生などそっちのけなのだ。
そして、笑顔も絶対にたやさない。
一応こうした花の性格については、「名前の由来」として説明づけられてるけれど、それにしても常軌を逸している。
彼女に辞書に”エゴ”という文字はないのか。
きわめつけは、クライマックスで去っていく雨に「私はまだ何もしてあげられてないのに!!!」と叫ぶシーンだ。
2時間じっくり見せてもらった立場から言わせてもらうと、あなたは十分すぎるほど献身的に子育てに身をささげましたよ!! と、ついつい声をかけてあげたくなるほどだ。

こうした花の性格について、「どんなことがあっても自分を拒絶しないでいてくれる女の子」という理想像の押しつけのような気がして嫌な気分になる観客もいるだろうし、実際に観ていて男のぼくでさえ、これはあからさますぎるだろうと感じた。


けれどぼくは、そうした思想的、価値観的な側面からでなく、ストーリー的にこのキャラクターの性格が、この映画のマイナス面だと思った。

というのも、ここまで書いてきたように、花は最初から聖人君子のような善人なのだ。
つまり、最初から完成しきっている。
そして、その性格が全編を通してほとんど揺るぎない。
自分の愛した男の「秘密」にも、その「秘密」のせいで他人に助けを求められない女手一つの子育てにも、厳しい自然田舎暮らしにも、ほとんど挫折しない。
少なくとも花に関していえば、物語的な起伏がほとんどない。
だから、はっきりいえば花の映っているパートは、安定しすぎているから退屈にすら思えてくるわけだ。


これについて、昨日たまたまネットで細田監督のインタビューを読んだ。
細田監督は、この映画が母親の「成長の物語」なのだと述べている。
しかし、上記のように実際に観たあとで考えると花の「成長の物語」という説ははなはだ疑問だ。
思い返してみれば、自然分娩や育児、農業の方法をその境遇上人には聞かずに、花が本をとおして黙々と勉強する描写が何度も挟まれている。
たしかに、そのような学習をとおして彼女の知識や経験は増えたのかもしれない。
けれど、それって物語的な意味での「成長」とはふつう言わないよね……。