いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「お客様は神様です」の弁証法


演歌歌手の三波春夫が言ったとされる「お客様は神様です」という言葉。
実はこの言葉について、その曲解と乱用を憂慮していた長女の三波美夕紀氏によって、三波春夫のオフィシャルサイトの方で「公式見解」が示されている。

 三波春夫にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。客席にいらっしゃるお客様とステージに立つ演者、という形の中から生まれたフレーズです。三波が言う「お客様」は、商店や飲食店などのお客様のことではないのです。
 しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」と、いう感じ。店員さんは「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」という具合。
 俗に言う“クレーマー”の恰好の言いわけ、言い分になってしまっているようです。


「お客様は神様です」について - 三波春夫オフィシャルサイト 「お客様は神様です」について - 三波春夫オフィシャルサイト

では、なぜ三波春夫は自分の歌を聴く聴衆を「神様」と呼ぶのだろう。
そこには、大きく分けて二つの理由がある。

一つは、

歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って、心をまっさらにしなければ完璧な藝をお見せすることはできないのです

これはつまり、「お客様は神様」と想定しながらでなければ、三波氏は最高の芸が披露できない、ということだ。

そしてもう一つの理由は、

また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです

これはつまり、彼の歌に耳を傾けてくれる「お客様という名の神様」、“創造主”がいなければ「三波春夫」という歌手は存在しえない、ということだ。


ぼくは、前者の理由もなるほどと思わされたが、後者の理由にこそ、膝を打つ思いをした。
そうだ。お客様は神様なのだ。
「お客様は神様です」――この言葉には、芸能人やタレント、そして近年話題にあがっている評価経済をも射程に入る、ある逆説についての興味深い洞察が込められている。


ここで、哲学者ヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」を思い出してもらいたい。
主人と奴隷の間には明確な主従関係がある。
そして、主人が奴隷を奴隷たらしめているのだと、普通はそう考えられている。
けれど、それとまったく逆のことも言える。
奴隷が主人と崇めるからこそ、主人は主人たりえている。
つまり、奴隷が主人を主人にしたてあげている、とさえいえるわけだ。


この理屈は、人気タレントと聴衆の関係にもあてはめることができる。
三波春夫はまちがいなく、昭和を代表する歌手だろう。
しかし、彼にファンが一人もつかなければ、例えどんなに歌が上手かろうと、彼は「歌の上手い歌手」にすぎないのである。
三波春夫という大スターは、大多数の聴衆がいなければ、存在し得なかった。
だからこそ、三波春夫にとって「お客様は神様」なのだ。


このことは、“人気商売”と呼ばれるすべてにあてはまる。


何を当たり前のことを、と思われるかもしれない。
しかし、このことを我々はついつい忘れがちだ。
たとえば、数年前に原宿で「芸能人がいる」という誤情報が拡散し、大混雑を招いたということがあった。
ぼくはすごく興味深いと思ったのは、「芸能人」というきわめてあやふやで抽象的な情報だけで、人は一時的に混乱状態におちいったということだ*1
「芸能人」を「芸能人」たらしめているのは、その本人ではない。
ファンに他ならない。
つまりファンは、自らが芸能人たらしめている彼に対し、彼が芸能人であるがゆえに熱狂しているのだ。
ここには奇妙な倒錯がある。


このことは、さらにツイッターなどのソーシャルメディアにだって言える。
ツイッター上にも多くの人にフォローされている「人気者」が存在する。
しかし、だれもその人にフォローを強制されたわけではない。
外そうと思えばいつだって外せる。
なのに外さない。
もしみんながみんなで示し合せてフォローを外したらその人の「人気」は一瞬にして消し飛ぶだろう。
ソーシャルメディアの人気に実体なんかないのだ。
いや、ここでいいたいのは「人気」に実体などないのだからフォローを外せ、と呼びかけたいわけじゃない。
そうではなく、人気というのはそれくらい脆弱な関係性の網の目の中に偶然にもできた、”だま”のようなものでしかない。


人気のある人はそのことを肝に銘じておくべきだろうし、人気のない人にとってそのことは気休めになるだろう。


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*1:ただ、一説にはタレント名をともなったもっと具体的な誤情報が流れていたという説がある。