いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ものすごく無神経で、ありえないほど身勝手、なクソガキ! 〜『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』批評〜

9.11で父親が亡くなったことを受け入れられない少年が、彼の遺した鍵を手に、それに合う鍵穴を探す旅に出るヒューマンドラマ。

公開前から、他の映画を観に行った際に頭がおかしくなるほど何度も何度も予告編を観せられていたので、うすうす感づいていたが、この邦題からして観る者を泣かせにかかっているのがよくわかる。ちなみに、原題はExtremely Loud & Incredibly Closeで、この邦題はわりと忠実であるのがわかる。

では感動ものとしてどうかといえば、ぼくはそう良作とは思えない。それはある要素がいちじるしくノイズになっていたからだ。

そのノイズとは、この少年の性格だ。まずこのガキ、一言で言えばものすごく無神経で、ありえないほど身勝手なのである。鍵に合う鍵穴をもとめ、彼はある手がかりを頼りにニューヨークにいる様々な人を訪ねていく。みな彼が会ったこともない人である。たとえ子供だろうと、警戒してもしょうがない(なんといっても、9.11から一年しかたっていないという設定だ)。にもかかわらず、少年は鍵穴を探すために半ば強引に彼らの家へズケズケ土足で入っていき(まぁ向こうはもともと土足だが)、たとえその家がけっこうな「お取込み中」でも、彼は構いやしないのである。この少年にとって彼らに会うのが目的ではなく、鍵穴を探すための手段にすぎないのだ。あげく相手の顔写真をなかば勝手に撮ってしまう。こんなの肖像権の侵害だ。訴えてやれ。

このガキのこの腐った性格は、父親を亡くしたことに起因するのか?この映画で、トム・ハンクス演じる彼の父親がなぜ9.11のテロで死んでしまったのかというと、それは死の圧倒的な不条理を表現しているのだ。そして、少年は父の死に理由がないというその不条理を受け入れられないでいるのだ。それはわかった。しかし、たびたび挟まれる9.11当日の回想シーンのなかで、まだ父親が死んでないのに家に入るときドアマンに「ジジイは くたばれ」なんて悪態ついてるじゃねーか。つまり、このガキは両親以外の大人には、もともと口の悪いませガキなのだ。

それに、途中で少年と同じようにある悲劇的なできごとで心に傷を負い声を出せなくなった老人(実は彼も少年と深いつながりがあるのだが)が出てくるが、同じような境遇にいる相手であるにもかかわらず、このガキは根掘り葉掘りと口がきけなくなった理由を問いただす。お父さんの死を理由にしてはいけない。こいつはもともと無神経なのだ。

そんなわけなので、映画のナレーションはこのガキ自身でこのガキに感情移入しろということなのだろうが、できるわけがない。もっと酷い目にあえ!もっと酷い目に!と念じながら観てしまった原因は、ぼくの性格の悪さだけには回収されないだろう。

最終的に彼は、彼と亡き父親をつなぐある“鍵”を見つける。が、それもそれまでの何十分もかけて探した鍵穴とはちがうので、長々と相手させられたこっちからすればなんじゃそらとならざるを得ない。
救いなのは、サンドラ・ブロック演じる母親と和解を遂げるシーンで、感動を強要するいかにもなBGMが流れなかったことだろうか。無音の中、ふとした少年の言葉(これも気まぐれで出たにちがいないとぼくはにらんでいるが)で、彼女が不覚にも…という感じで涙するところは、おお、さすがアカデミー賞女優と思ったものだ。
そして最後にもう一つ。少年はある名字の人間が、彼の探している鍵の鍵、もとい鍵穴を握っているとふみ、電話帳で片っ端からその名前のリストをあげたうえで、彼らを訪ねに行くのだが。よく考えてもらいたい。電話帳でリストを作ったのである……
電話一本入れればすんだんじゃね?