いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【提案】記念日に本をプレゼントする文化を定着させればいいんじゃないだろか

日本のラスプーチンこと佐藤優さんがニコ生に出たときに、ロシアでは良書を見つけたら数冊買って読ませたい人への贈り物にするんだということを言っていた。
へぇと思いそれをちょっと前にTwitterでつぶやいたら、大学の後輩のいとしゅんくんが、ぼくの誕生日になんとそれを実践してくれたのだ。サプラァァァァァァァァイズ。
持つべき者は後輩。ちなみにそのときの模様はust中継されていたのだああああ。
http://www.ustream.tv/recorded/22838464
いいんちょと愉快な鼎談(仮)
野郎が野郎からプレゼントをもらうというむさい光景なのだが(でもうれしかったです)。

記念日に本を贈る文化――自分の言ったことを謀らずとも実行してもらったわけだが、こういう習慣が日本で広まればいいなと単純に思う。
他のプレゼントにくらべて、本を贈り物にすることには四つもメリットがある。今日はそれを書いていく。
まず一つめ、本は安い。文庫はともかくハードカバーを自分で読むために買うのはちょっと…という人がいるが(ぼくもそうだ)、人にあげるものととらえればむしろ安価に思えてはこないだろうか?ちなみに先の同じ放送で佐藤さんが言うには、国際的にもアメリカやイギリスより相対的に安いんだそうだ(統計データは発見できず)。


二つめは、邪魔にならない。「出オチ」であとは捨てられない粗大ごみになるだけの置物よりよっぽどましでしょ。

さらに続くメリットの三つめ。本というプレゼントをとおして、贈った相手にあらためて「自己紹介」ができるということだ。以前、映画評論家の町山智浩氏が「マイベスト10」を選ぶことは「自分の人格表明だ」と喝破していた。それは、どのような映画によって自分の人格や価値観が形成されてきたかをしめす経歴がわりだからだ。これは本も同じだろう。数多ある中からどれか一冊を選んで贈るということはある意味あなたの「自己紹介」になる。


ただ、本を贈り物にすることには異論もあるかもしれない。「贈る本に躊躇する」と。
たしかに、あげる相手が多読家なら下手な本は送れないし相手の好みもあるだろう。「ふ〜ん( ´_ゝ`) これを俺に贈るわけね?」と思われるのも精神衛生上非情によろしくない。第一、もうすでに読んでるよという話かもしれないじゃないか。


だからこそ、この習慣はふだんあまり本を読まない人に向けてやってほしい。
ここで最後のメリット、四つめ。日本の出版文化の底上げに寄与できるからだ。
読書する習慣がない人というのは、ひとえに読書をする入り口に恵まれていないということが言える。そんな人にも、「知り合いのあなたが贈ってまで勧めてくれた」ということは、とりあえず読んでみることへの強い動機になるだろう。
これは昔、何股もする結婚詐欺師の話で聞いたのだが、同時に何人もの女性と付き合っていると一人と会う時間も限られてくる。あまり会えない状況を相手に満足させるため、DVDや本をあげるんだろうだ。そうすることで、会えない間もDVD鑑賞や読書などをあくまで「彼氏が勧めてくれたもの」で時間をつぶすことになり、単に会わないよりも上手くいくんだそうだ。「あの人が勧めてくれたから読む」――同じことはもっと健全なあなたの交友関係の中でもきっと起きるはずだ。

日本の出版不況が叫ばれて久しい。雑誌は立て続けに休刊し、書籍もつぎつぎ新刊を出すことでなんとか凌いでいるが、内容はかえって劣化している。不況だ他の娯楽が増えただなどの理由は耳にタコだが、そもそも論に立ち返ると、日本で恒常的に読書をする人口というのはけっして多くないことがわかる。二〇〇八年に文化庁のおこなった「国語に関する世論調査」の結果のなかの「月に何冊本を読むか」という問いでは、一冊も読まないという人が約46%でおよそ半分におよび、読む人でも1、2冊が大多数だ。

そう、日本の出版業界というのは今まで、思っていた以上に小さなマーケットでの争いを強いられてきたわけだ。世界有数の識字率を誇っている日本でありながら、だ。

“ふだんあまり本を読まない人に向けて”と強調する理由は、まさにここにある。「ふだんあまり本を読まない人」から「本をコンスタントに読む人」を新規開拓をすることこそが、実は大切なんじゃないだろうか。贈った本をとおして「本の虫」を増殖させることは、日本の出版文化の土台の拡大につながるわけだ。


四つめのメリットについて、話が大きすぎて絵空事のように思えるかもしれない。けれどこれにはれっきとした証明がある。
それはぼく自身、読み始めたのは「贈られた本」だったからだ。
忘れもしない6歳のときの誕生日会で、当時の親友オダくんが持ってきてくれたのは包装紙につつまれた長方形のプレゼント。「札束か!?」と周りの友だちに軽口をたたきながらぼくが開くと、そこにあったのは那須正幹先生の『それいけズッコケ三人組』だった。実は軽い落胆をおぼえながら(なぜなら「札束」の可能性をほんの少し信じてたから)もありがとうと受けとりなんとなく、本当になんとなく読み始めた。そのあとズッコケシリーズの文庫版全巻と、まだ文庫になってないハードカバーの新刊がぼくの本棚にズラっとならんだのは、その年の夏休みが終わるのを待たなかった。以来、ぼくの数千の読書は始まったが、最初の一冊の「贈られた本」がなかったら、ぼくの人生そのものがどうなっていたかわからない。


本なんて読まねーしネットがあれば十分、という話もあるかもしれない。だが私見をちょろっと述べれば、「本の知」と「ネットの知」はまだ代替できない部分も少なくない。速報性はネットが富むだろうが、蓄積されていく知では、まだ書籍の方に分がある。このことを書きはじめると長大になるので省くが、出版文化は衰退してよい、わけがない。
習慣というものはある意味恐ろしく、それが「当たり前」になると疑問もなく続いていくもんだ。ハロウィンだって、日本のが本腰をあげてアピールし始めたのは、ここ数年のことだ。
たとえ新刊でなくてもいい。持っていた本でもブクオフで買った本でもいいからとにかく、記念日にオススメの本を贈る文化、これを草の根で流行らせていこうじゃないか。