いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

もともとそれが当たり前じゃなかったのか〜藤本篤志『社畜のススメ』書評〜

社畜のススメ (新潮新書)

社畜のススメ (新潮新書)

まえがき
第1章 「自分らしさ」の罪
第2章 個性が「孤立」になる悲劇
第3章 会社の「歯車」になれ
第4章 ビジネス書は「まえがき」だけ読め
第5章 この「ウソ」がサラリーマンをダメにする
第6章 「クレバーな社畜」がベストの選択
終章 選、縁、恩
あとがき

目次を読めばある程度わかると思うが、本書はフリーランスノマドを肯定する意見の「逆張り」しているわけで、内容も予想できる。「型がないのは型破りではなく形無しだ」とか、そのような課長が朝礼で威厳たっぷりにのたまう内容だと思ってもらったらそれでいい。
根本的な問題として、もともと「社畜」=正規社員であることが、戦後の日本社会ではずっと「安定」の指標として持ち上げられてきたわけだ。労基法を守らず社員を酷使する企業が多く取りざたされ、戦後の就労感覚そのものへのカウンターとして生まれたのがブラック企業批判や「社畜」や「ノマド」という言葉なのだが、それもつい最近のことだ。したがって、この本にあることは「(少し前までは)当たり前」のことであり、ススメられるまでもない。学問で身分にとらわれていた生き方が変わるぞと説いた福沢諭吉とは、インパクトが段違いだ。
もっとも、こういうことを言うのは野暮かもしれない。まえがきによると、本書は正規社員という最も安定したレールにすでに乗っかった人に向けて書かれたのだという。つまり、そういう「安定」を手に入れた人々が、自分の今までの人生に疑問を感じて不味いラーメン屋を始めるために脱サラしないように踏みとどまらせることと、くたびれた彼ら彼女らの「慰安」こそが目的なのだから。
読みながら、和民の社員にも同じことが言えるのかと言いたくなるが、本書はちゃんと病気なら休んだ方がいいよといっているわけで、それは「程度の問題」という一番つまらない話の方向にしかいかない。それなら、「職場で前のめりに倒れて死ぬのが男の花!」など極端な論を吹っかけてくれる方が、まだ面白い。そうするには、著者の非常に常識的で真っ当な人格が邪魔をしているだろう。


それなら、本書があまり考察にページを当てなかった「個性」や「自分らしさ」というものについて、考察を深めていってもらいたかった。ここにも、この数週間ずっと言及している岡田斗司夫の言う「自分の気持ち至上主義」があると見える。会社の「歯車」になるというのは既製品になるということだ。「自分らしさ」を捨てて「既製品」になることそれ自体が「悪事」になるのは、「自分の気持ち至上主義」の賜物である。

最近、周りの人間を見ていてふと思うのは、ぼくらはおそらく脳内にあるチップを入れ忘れてしまったのだ。そのチップを入れれば、人は呼吸をするように仕事をする。呼吸するのが生きることと同義なのと同じように、仕事するのは生きることなのだ。そこにいちいち哲学など必要ないし、あっても邪魔になるだけだ。そのチップを、今までのどこかで埋め込む機会があったはずなのだが、それを逸してしまった。だからといって誰かを怨むこともできないし、生きていくしかないのだ。