いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

キャラキャラ言ってんじゃねーよキャラキャラ!!

忘年会・新年会シーズンも一段落しました。
さてみなさん、今回はどうでしたか?
……そうですかそうですか、やっぱり大変でしたか。ご苦労様です。


え、何のことですかって?決まっているじゃないですか、「キャラ」の問題ですよ。


近頃、何かと「キャラ」について語る人がいる。「あたしは仕事場では××キャラだしぃぃぃぃ」とか、「おめぇのそのキャラ絡みずれぇぇぇぇぇぇwwwww」とか。こういう風に自分の「キャラ」もしくは他人の「キャラ」について語りたがりな人って、少なくないと思います。こういう人は、暗にどういうことを言わんとしているのかというと、「本当の俺/あたしはわかってんぞ。でも、場の空気読めねぇあんたらに、今も俺/あたしはうまく合わせて演じてやってんぞ」ってことなんですね。


…もうほんとね、そういうやつらにはうんちうりゃって投げてやりたい。当ブログをお読みになっているような気品のある紳士淑女のみなさんは、日頃からこの「キャラ語りたがり人間」との付き合いは完全シャットアウトしているか、もしくはなるたけ制限されているでしょうが、年末年始という飲み会シーズンには、いつもどおりにそううまくはいかないもの。そういう「キャラ語りたがり人間」とも席が一緒になってしまったりするのではないでしょうか。そんな人にはね、唐揚げのカットレモンを顔に向けてぷっちゅーってしぼってあげればいいんですよ。2、30分はお手洗いに立ってくれますから。

というこのボク自身、飲み会での話題がそちら側に行きかけると「やばいぞやばいぞ」となんとか別の方角に逸らそうとするのですが大抵ダメで、結果聞きたくもない自意識過剰合戦の渦の中で一人梅酒ロックのちいちゃなグラスをぷるぷるさせながら、話題が変わるのを今か今かと持っている始末です。



俗に言う本音と建て前、宮台真司が使って一気に流行った言葉で言うところのネタ/ベタ。「ネタでやっている」というときのネタ、それがここでいうところのキャラなわけですね。人間、本心ばっかり言ってても務まりません。そういう分裂を抱えた近代的主体(というと大げさか?)のその分裂が発展していった先にあるのが、このネタでやってるだとかいくつものキャラだとか、そういうことになるわけです。
ところでボクは、思うんです。これって本当に二元論なのか?、と。


上記のような「キャラ語りたがり人間」の人はこう言います。サークルでのキャラ、職場でのキャラ、ゼミでのキャラ、ブログでのキャラ、親兄弟の前でのキャラ、もっといえば高校時分に知り合った友達の前でのキャラ、中学の時の同級生に接する時のキャラ。俺はすべてを使い分け、世間をサヴァイブ(この言葉が昨年なぜだか流行った)してんだぞ、と。そんな風に本当の自分とキャラの自分は分けられると、思っている。でも本当にそうなんだろうか。

要するにボクが立てたいのは、本当のあなたと「キャラ」のあなた、それは本来きれいに分けることができるものなのかという問いです。そして、ボク自身のその問いへの解答はもちろん、否であります。


例えるならこれはカードゲームです。本当の自分がプレイヤーだとすれば、キャラは手札に相当する。人とコミュニケーションをするということはつまり、手札の中の一枚のカード=キャラを選んで、相手に提示しているということです。でもここで疑問なのは「そのカードを出したお前は誰やねん」ということであります。つまり、ある特定のキャラで接すると選択したお前は、お前自身じゃないのか?ということです。ある人の前で、ヘタレキャラを装おうがオラオラキャラを装おうが、それを選択したのはその人本人であり、そのキャラを選択したこと自体に、実はキャラによって隠そうとしていたその人の「本当」が現れている、といえるのではないか。



ここで思い出されるのは、またしてもラカンの残した格言、「メタラングは存在しない」というもの。メタ言語と訳してもいいですがそれはつまり、他者からの批評を免れる、純粋に客観的な言葉なんてない、ということであります。


これは、はてなブックマークを例にとるとわかりやすい。あるサイトやブログに対して、何らかのコメントを残していくのがブックマークコメント、略してブコメでありますが、そのブコメはそのサイトの内容をコメントや批評、意見をするわけですね。時にはブックマークページでブコメ同士が議論になっていたりする。しかし、さらにそのブックマークページそのものにブックマークをする、通用メタブクマというものがある。そこでは、最初のブックマークページについたブコメのやり取りが今度は議論の対象となっているわけです。まぁブックマークページ一枚でも、後続のブコメが先行するブコメにツッコミは入れていたりするんですが、このメタブコメというのは、よく考えたら終わりがないわけです。ホントについ最近、知り合いの人がブログでその議論の行方をまとめられていたので知ったんですが、ブクマタワーなるものがあるんだとか。タワーを作る、上へ上へ積み上げていくその動作はまさに「メタ」なわけですが、これにシステム的な際限はあるかもしれませんが、理論的にブクマが付けられる可能性がまったくないメタブコメは、存在しないわけです。

言語とは内容を運ぶ透明なメディア=媒体のようでいて、実はそれ自体も何らかの剰余をはらむ、というわけです。



閑話休題
話をキャラと本音に戻すと、この場合その人が自覚的に演じているというキャラがあるのに対して、それをご丁寧にも飲み会などで披露してくださるのが、その人の本音の部分ということになるわけです(もちろん「飲み会でキャラについて語るうぜーキャラ」というのを装っている可能性も捨てきれないですが、話がややこしくなるし、辿っていけば一緒です)。つまり「メタキャラ」です。しかし先にも書いた通り、その装うキャラそのもの、そのキャラでその人がなす言動そのものが、まさにその人が提示したものであってそこには必ず、その人の本心が表出します。


だから、キャラキャラ言っているやつにはこう言ってやりましょう。
「うん、わかったよ。君がそういう鬱陶しいキャラでボクに接しているのは、君がボクのことを潜在的に嫌っているんだっていうことの証拠なんだろうね」と。
これであなたの人間関係が更新される。