いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

僕が思う、あなたが勉強したほうがいい理由

sadadad54さんの記事。

あなたは勉強をしたほうがいい理由を答えられますか。納得のいく答えを用意できない人は、いま勉強していない人です。・・・


あなたが勉強したほうがいい4つの理由


記事を読む前から、タイトルだけで僕は、てっきりここでいう「勉強」とは、端的な知識というよりも、時系列に並んでいる「歴史」を知ることなのだとなぜだか脳内誤変換されてしまっていた。
「4つの理由」についてはsadadad54さんの記事の続きをご覧いただくとして、ここからは僕自身が考える「あなたが勉強した(歴史を知る)ほうがいい理由」を書こうと思う。


「歴史」とは書いたものの、肩ひじ張らずここは「前例を知る」と言い換えてもらってもいいかもしれない。
簡単な話、その方が効率がいいのである。





僕の友人に、本やネットで知識を得る習慣がほとんどないやつが一人いる。
だけどその彼は、いつも独創的な考え方をする。
なんというのだろう、すでに着眼点からしてセンスがあるのだ。
あたかもはるか彼方の方できらりと光ったかと思えば次の瞬間対象を射抜いていた、というような動物的で鋭利な思考回路というか。


そんな彼がこの前披露してくれたのは「昨今の就職難の真の理由」だった。
彼もこの「難問」にいろいろ考えあぐねたらしい。
そしてその結果ようやく彼が導き出したのが、「IT化による効率化で社会が人手を必要としなくなった」というものだった。



彼はそこから、「だから労働者がまず敵視しなきゃいけないのは、愚策を続ける政府でも、雇用者に冷淡な企業でもなく、IT技術なんだよ・・・だから」と、最後に何かを言いかけた。その瞬間、僕は反射的に「ラッダイト運動か!」とひらめいて言ってしまったのだけれど、彼はその言葉にポカーンとしていた。
言うまでもなく、ラッダイト運動はイギリスの産業革命期に仕事を奪われると恐怖した労働者が、工場機械を破壊した運動だ。これを彼が知らなかったのは、高校世界史教育の敗北だと思うのだけれどそれはともかく、このエピソードはものすごくわかりやすいと思うのだ。


彼は「ラッダイト運動」という言葉を知らないまま、「今こそ新しいラッダイト運動を起こそう」という結論に至ったのだ。


何をいまさら、と思う人もいるかもしれない。
現に、すでに「ネオ・ラッダイト」という言葉があるし、とりたてて「独創的」ではない。
しかし、マスメディアでよく使われる「世界的恐慌による雇用不安」というありふれた語法を前に思考停止することなく、彼は独立独歩にしてその結論にたどり着いた点において、やはり「独創的」といえるのだ。





彼は、前提知識ほぼゼロの地点から結論にまで辿りついた。
それに対して、僕は歴史にある参照項がたまたまひっかかって、その結論に一気にたどりついた。
彼が頭を抱えて考えながら苦心してそこにようやくたどり着いたのに対して、僕はある意味そのプロセスをショートカットしてほぼ同じ結論にたどりついたといえる。


どちらがいいかというと、速さに勝る後者に決まっているかといえば、そうともいえない。
たしかに後者は速さに勝る分、その結論がでたあとに起こす行動や「その後の課題」について、よりはやく考え始めることができる。
でも、考えるプロセスを楽しむことを目的におけば、前者の辿ってきた道の魅力が断然後者に勝っているように思う。
だから、どちらに目的を置くかで、人によりけりだろう。


けれど、自分には独創性がなく頭もよくないと考えている人は、断然歴史を学ぶべきだと思う(独創性があって頭もいいという人でも損はない)。
具体的には、読書せよ、だ。





多読家には速読家が多いという印象がある。
それを見て、本を読む習慣がない人は「やはり速読のもともと得意だった人が多読家になるのだ」と決めつけてしまう。
ちがう、多分事態はそうではないのだ。


多読家とて、最初から速読ではない。
どの分野でも知識のまったくない地点から本を読めば、最初はちんぷんかんぷんで当然読むスピードは遅い。
けれど、どの本も完全にオリジナルな内容だけで編集されているわけではない。
本を読み重ねていくうちに、「あれ、ここは前にも読んだな」という「既出」に出くわすようになる。
なにも「既出」まで読む必要はない。
よく言われることだが、多読家の多くは本の隅から隅まで読んでいるわけではない。
「知っている部分」はそのように、無駄なので飛ばしているのだ。


当然ながら、はじめ多かった「知らない部分」が徐々に「知っている部分」に移っていくわけだから、本を読めば読むほど「知らない部分」が少なくなっていく。
そうした具体的な知識の堆積と並行して、自分なりの効率的な読書方法や、読むのに適した環境が洗練されていく。
だから、うまくいけば読書というのは読めば読むほど加速度的にこなしていく量が増えていくはずなのだ。


だから種明かしすると、多くの多読家が速読家である秘密は、もともと備わっていた能力というより、多読してきたがゆえにあとからついてきたものにすぎない。
歴史と同じように、ここでも蓄積がものをいう。


一方ネット上では、定期的に同じ話題をマイナーチェンジした「大激論」が繰り返されることがある。
前にあったことに気づいている人もいるが大半はその渦中に巻き込まれ、結果、前回と同じように結論なきままなんとなく終戦を迎えてしまう。
この点、少し前にブックマークってそんな使い方だっけ?と問う記事があったが、知識の蓄積・参照機能として考えれば、少なくともネット上ではブックマークもあまり有効活用されていない。


これが日本特有の現象なのか普遍的なものなのか、その国際比較はできないが、こうして情報が堆積されることなく、何度も同じトラックをユーザーたちが走らされているような日本のネット論壇の無時間的な世界は、興味深くもあり同時に見ていて徒労感に襲われる。





閑話休題
ただ、こうして「歴史」を知るというのにも、いくつか難点がある。
一つ目は、当然ながら根気と努力が膨大に必要ということ。
ふたつ目は、単純に歴史はまちがえて伝えられることがあるということ。
事実と違っていたのなら勉強したってしかたがないし、むしろ害悪だ。
そして最後、ときに歴史には「前例にないこと」が起きる(起きてしまう)ことがあるのだ。


そんなとき、いくら歴史に学んでもらちが明かない。
そんな「緊急事態」を颯爽と現れアクロバティックに解決してくれるのが、冒頭で書いたような独創的な彼のような人、なのかもしれない。