いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

女心をグラつかせる技をマイケル・ファスベンダーから学んだ〜『ジェーン・エア』75点〜

目黒シネマにて鑑賞。

19世紀の作家シャーロット・ブロンテが、カラー・ベルという変名で書いた同名小説の、2011年の映画化。元々このあとで書く『裏切りのサーカス』が目当てで行って、2本見れるからついでに観ておくかというバリバリやっつけの感じで見た一作。だもんで、全く予備知識もなく、どんな話かも知らず鑑賞した。

主人公がジェーン・エアだから、タイトルもジェーン・エア。うむ、潔い。前から思ってたけど西洋の近代小説ってそういうのが多いような気がする。オリバー・ツイストが主人公だから『オリバー・ツイスト』だとか、ボヴァリー夫人が主人公だから『ボヴァリー夫人』だとか、エマニュエル夫人が主人公だから『エマニュエル夫人』だとか…。ま、いっか。

結論から言うと、好きなタイプじゃないけどいい映画だった。いい映画というのは、技巧的にっていうことだ。
まず冒頭、ただならぬ表情で荒野を駆け巡るジェーン・エア(と思われる妙齢の女性)。誰かから逃げているようだ。そして、寒々とした岩肌に寝そべり、おめおめと泣き始めるわけなんだけれど、この時点で観客はいったいなにが起こったんだろう……と話に引き込まれるよね。

さらには、それに続くジェーンの幼少時代。幼少時代のシーンは、全体的に彼女の逃げ場のない絶望感がひしひしと伝わってきて観ていて辛かったけど、とくに感心したのは、彼女が従兄のジョン(こいつがほんと小憎たらしくてキャスティングがグッジョブ)に追いかけ回される場面。カーテン裏に隠れるジェーンとナイフを手にしたジョン、そしてそこに彼の実母でジェーンの叔母にあたる女が通り過ぎるのだけど、そこでスクリーン一枚絵でこの3人がどういう関係なのかがよくわかるようになっている。そこがすごく巧かった。


その後、いま乗りに乗っているマイケル・ファスベンダーが演じる貴族フェアファックス・ロチェスターの家に家庭教師として彼女が入る。見終わってみると、彼とジェーンの出会いというのは、現代でいうところブコメの黄金パターンだった。
まず、とあるアクシデントでの偶然の出会い。ここは登校中にパンをくわえた転校生と角でぶつかるってシーンと同じわけだ。そのあと、まさかそいつが自分の使える館のご主人だったは……!!というのが、ベッタベタに映るのは、「あいつうちのクラスの転校生だったの!?」 という展開を現代のぼくらがラブコメをとおしてよく教育されているから。そう、ラブコメの黄金パターンはすでに『ジェーン・エア』の時代に確立されてたってわけ。

このあと、ロチェスターはジェーンに不遜な態度を取りながらもグイグイとアプローチしてくる。けれど好意を示す決定的なことはまだいわない。さすがのジェーンも、少しずつ少しずつ意識しはじめたころに、彼が何をしたか?

他の女の元へ行くわけだ。そのことをジェーンはお手伝いさん(007シリーズでMを演じてるおばあちゃん)の口から知らされ、めちゃくちゃショックを受ける。ショックを受けるってことは、つまり彼女も彼を意識してたってことですわな。

ここを観て、同性としてマイケルくんに感服しましたわ(書いたのはブロンテだけど)。さんざん押して押して押して押して押して、嫌がられても押して、そしてついに相手が観念して寄りかかってくるところで、ひょいっと引く。この時点で勝負(なんの?)はこっちのものなんですよ。いやー、この芸風を見習いたい。


この後、彼の思わぬ「秘密」が暴かれ、二人の関係はなかなか一筋縄にはいかない(ここも現代のラブコメに通ずる)。ぼくは原作について全く知らなかったので、思わずこの「秘密」が明かされるシーンで「うわっ」と小さな悲鳴をあげてしまったんだけど、考えてみたらこれはすごい。約150年前の人が考えたことで驚かされるって。あ、あと、「結婚したら好きになるよ」みたいなこという男が出てきて、ジェーンに拒絶されるんだけど、現代でもそういうこという人いますよね。たぶんウソなんでしょうけど


原作の重要なエッセンスであった、男女平等や女性の自立というテーマ性はやや薄れちゃってはいるけれど、それ以外はたぶん原作にかなり忠実だったんじゃないだろうか。そのためか、全体的に画面がかなり暗くて地味めにみえる作品だけど、良作であることに変わりはない。

っつーか、ちょっと長く書きすぎたんで『裏切りのサーカス』については、またこんど。