いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

オザワさんとこのイシカワ君

ちゃお♪みなさんめっきり寒くなってしまいましたね。今日はユニクロヒートテックについて、これめちゃくちゃ暖かいけどピチピチすぎて、黒だと高校球児みたくなっちまうな!!って話を書こうと思いましたが話が続かなそうなのでやめます。


最近テレビをぼけーっと見ていて、僕のツボなのは、例の小沢さんの献金問題の件でニュースが流れる際にたびたび登場する、石川議員です。今回はそのメンツにかけて小沢一郎から何らかの意義あるものを引っ張り出そうとしている特捜のやる気が見えて、その本筋の方も気にかかるのですが、それに負けず劣らず、彼がいい存在感を醸し出しています。


なぜ僕のツボに入るのかというと、どう見ても彼は「いい人」そうだからです。
あれはいい人が追い込まれている時の顔なのです。皆さんの学生時代、あるいは職場にも、ああいう「いい人」はいないでしょうか。


ここで、バーチャルな「イシカワ君」の小学生時代について、想像を膨らませてみます。
ホームルームが終わった帰り際、イシカワ君は早速呼び止められます。
「おい!イシカワ!!」
ビクつきながらも振り返るとそこには、クラスの番格のオザワ君の姿が。
この時点でちょっといやな予感はしているものの、それでもにこやかに返してしまうのがイシカワ君のいいところ。
「何?どうしたのオザワ君」
オザワ君が両手に持っているのはほうきとちりとり、彼はそれをぐいっとイシカワ君の胸元へ押しつける。
「おれさぁ、今日マジウゼェえんだけど掃除当番なんだ。だからさ、これあげる」
まあこの時点で相手の要求はわかってて、というかもうほうきもちりとりも彼の手の中にあるのですが、イシカワ君も一応断ろうとします。
「でも、今日ボク、塾があるんだけど・・・」「じゃ、よろしくな!!」
イシカワ君の肩をボンと力強く叩き、さっさと友達の待っている方へと駆けだしていくオザワ君。
こうして、イシカワ君はまんまとオザワ君の掃除当番を肩代わりさせられるはめになるのでした。


しかし、イシカワ君の特性が発揮されるのは実はここからです。
この状況、どうみてもイシカワ君とオザワ君の間には主従関係があるわけで、彼は損を被っているわけです。しかし、その事実を彼は認めようとしないのであります。なぜだかそれを、彼は「自分はオザワ君に対して親切なことをした」とそこで読み替える。それは、「いじめられている僕」を認めるよりも、「親切をしてあげている僕」と解釈する方が自分にとって快適だからであります。

だからたぶん、偶然そこを通りかかったほかのクラスの友達が教室でほうきを掃いているイシカワ君の表情を見たならそれは、「真顔なんだけどどこか引きつっている」というあの独特なものになっていたはず。
もちろん言うまでもなくそれは、今現在彼が報道陣に囲まれたときに醸し出す、あの独特の表情と重なるわけです。


それで結果、どうなるか。
不思議なもので、オザワ君のような「悪い子」というのはイタズラとかいじめとかそういうことをしても、バレてこっぴどく叱られるということがなかなか起きない。ああいう人種は先天的な特性を備えています。だから悪さが助長されるのかもしれませんが。それに対してイシカワ君は、遅れてしまった塾の先生には怒られ、帰ってママからも叱られるというまさに泣きっ面に蜂。


今回の一件、小沢さんが白か黒かということはこの際石川議員のあの引きつった表情には大して関係ありません(まあ現実的には「グレー」となる落としどころが今探されているのでしょうが)。結局何の問題もなかったとしても、報道陣などにこんな話題で追求される石川議員の役回りは、誰がどう見たって「損な役回り」なわけです。実際問題、石川議員は小沢議員の元秘書であり、小沢さんは政界における彼の師匠にあたる人物。国会において持つのが同じ一票であること以外、二人の関係が対等であったと考える方が、非現実的というか単なるバカなのであります。

しかしそれでも彼は引きつった表情を崩さず、泣きを入れない。


ところで、ルイ・アルチュセールというフランスのおっさんが、近代的な主体(市民)をそれが生成される際の二つの工程において定義しました。主体は行動を「権力」によって強制される存在であり、かつ、「自分が行動を権力に強制されている」という事実をそのものを否認し、あたかも「自由意志」で行動しているのだと思い込む。それこそが近代的な主体のあり方だ、というわけです(ちなみに言い尽くされた話ではありますが、英語の「主体」を表すsubjectは、「従属する」という逆説的な意味をも含みます)。
どうですか?行動もカメラの前での発言も、明らかに「強制」されてそうな彼が、それでもあの引きつった真顔を崩さない。まるで、自分も小沢さんも白であるし、自らの意志で行動しているのだと言わんばかりに。


でもこういう「いい人」って世の中によくいそうだし、僕らにだってちょっとばかりこういうお人好しな側面があるはず。
そう、誰だって小さな「イシカワ君」を心に飼っていて、そういう意味で石川議員とは、もっとも近代的な「普通の人」を体現しているのかもしれません。

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