いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

悲しみの二番底

17日は阪神大震災からちょうど15年ということで、テレビは各局がドキュメントなどなんらかの特集を組んでいたけれど、高村薫がゲスト出演していた「追跡!AtoZ」が特に興味深かった。
この番組で取り上げていたのは、大阪大学の研究チームが考えた「復興曲線」という手法だ。被災後15年の「心の復興具合」を縦軸、時間を横軸にとったグラフに、被災者一人一人に書き込んでもらうという試みだ。そして、番組が取り上げた100人のその復興曲線には、ある共通点が見いだせるという。


それは、被災から約三年後にもう一度精神的に落ち込む、番組では「二番底」と呼んで紹介していた現象だ。紹介されたのは二例。両名とも男性だったのだけれど、彼らは被災後すぐに亡くなった肉親の葬儀や復興作業などに追われ、何かと忙しかったのだそうだ。それだけに、家が破壊されたことや亡くなった人について、当初はあまり悲しみには浸れなかったのだという。しかし、震災から時間がたつにつれ街が復興し、ありふれた日常が帰ってくるにつれて、精神的にがくっと落ちたのだそうだ。それこそが、この約三年後に訪れるという二番底だ。その一人が書いた復興曲線のグラフには、その「二番底」のところにメモ書きとして「もう少しちゃんと泣いとけばよかった」とか細い時で書き込みがされていた。


僕がふと思ったのは、ここにも「ジェンダー」があるのかもしれない、ということだ。まあ取り上げられていた二例が男性だっただけで、本当のところその二番底を味わったクラスターの男女比がどうだったかはわからないのだけれど、とかく一家の大黒柱だったり、そうでなくても被災時に「男だから」しっかりしなければと虚勢を張って頑張っていた、わりと「男」を背負いこんでしまうタイプの人ほど、この二番底に陥りやすいんじゃないだろうか。

昔通っていた塾の先生の長年飼っていたペットが死んだときの話だ。十二分に泣きはらしていた奥さんが心配したのは、むしろ旦那、つまり先生のことだったというのだ。「あたしは女だから泣けたけど、あなたはため込んでそうで心配」なのだそうだと、その人は話していた。


幼い頃から「泣きべそをかく」というのを嘲笑の対象として育てられてきたのが、男っていう種族の成員だ。そこでは「泣いてはらす」とか、あえて「泣く能力」なんてものは、基本的には評価されない。しかし僕らの人生には、自分の世界観そのものを崩壊せしめるほどの災いが待っているかもしれない。それに遭遇したとき、それまでの「耐えて忍ぶ」という方法では到底乗り切れることできない打撃を受けたときにこそ、もしかして「泣きたいならちゃんと泣くこと」が奨励されるべきなのかもしれない。


ほら、広末も言っているではないか。



あなたは強い人だけど、その強さが心配なんだよ。