いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

カテゴリーが意味をなさなくなってきた

もう毎回のことである。
「…ええっと、この文章はまぁいちおう[コラム]ではあるなぁ。で、本も紹介してるから[本]もつくと。あと、あのタレントにも言及してるから一応[テレビ]にもなるし、『フロイト』って人名が出てくるから[精神分析]かな?あ、でも最後の段落で言いたいことは[恋愛]にもあてはまるか、
…ってなんのこっちゃ!」
と、文章を書いて更新する直前になって、カテゴリーをつけるのに困ってしまう者である。


先々月あたりから、ブログを毎日のごとく更新していることもあって気づいたことに、僕の場合はブログの「カテゴリー」がほとんど意味をなさなくなり始めたのだ。試しに見てみてもらいたいのは、僕の日記のそのほとんど、おそらく8割以上の文章には[コラム]というカテゴリーがついている。これではあまり意味がないのである。

どうしてかというと、カテゴリーとはタグの一種であり、タグというのはそもそも荷物を仕分けする際につけておく番号札のようなもののはずだからだ。
想像してもらいたい。あなたは荷物に埋もれた倉庫の管理人だ。あなたはそれら荷物を分類、整理することを上の人間から言いつけられている。そして今隣で、[荷物]というタグを作ってそれら荷物につけ始めた同僚がいたとして、はたしてあなたはその人を、能力的見地から見て信頼できるだろうか?

そもそも[コラム]なんてカテゴリーをなんでつけたんだテメェと、過去の僕に強制尋問してみても、たぶん口をとがらしての「別に」という返答ぐらいしか望めず、「彼」にとってはコラムというカテゴリーが指し示すのは単に「書きたいこと」、その程度だったと思うのだ。すると、ますます[雑記]なんてものと差異化ができなくなる。僕にだってもはやわからない、この文章がなぜ[コラム]になって、あの文章は[雑記]になるかなんて。[コラム]というタグが活きるのは、「コラムではないもの」が書かれる可能性がある場合だ。例えば[お知らせ]や[議案]などがある、下にリンクしているような複数人で共有するブログでは意味をもつが、僕一人でやっているここでははっきりいって、無意味だ。
その他にも気になるところはありまくり。例えば[時評]と[政治]は、作ってみたもののあまり使わないし、さらにこの二つに明確な差異はない。[大学院]というのも「ねらいはいい」のだが、必ずしも大学「院」についてだけ語っているわけでもないので、ここは[大学]とか[学校]でもよかったはず。そして最も多発し、かつ問題なのは、それらカテゴリーの「つけ忘れ」である。これでは、もし僕のブログの、例えば[精神分析]の文章で興味を持ってくれた人が、精神分析のカテゴリーで文章を読もうとしたときに、「読み忘れ」が起きることは必死である。


無意味なカテゴリーを作ると、作った当初は不思議なことに気にならない。問題は日記を書き始めてから。日記の日数とカテゴリーが徐々に増えていくと、いつしかその無意味なカテゴリーだけが「開かずの間」と化してしていく。どんどんどんどん、他のカテゴリーから浮いていってしまうのだ。
だからもし、今からブログを始めるという人がいたら、ぜひいいたい。
カテゴリー作りは慎重に。(en Japanの広告をパロっているつもり)


ここで突然ですが、「私家版作っておいて結局使わない意味なかったよねカテゴリーランキング」の発表です。
回数別に調べる、自分で作っておいて結局使っていないカテゴリーのベスト3。
同率で第二位が[就活][マッチポンプ](ともに使ったのは2回)

前者は一応就活生だから、そういう情報でも書くかなー程度に思って作ったのだが、ほとんど未使用。[へこむ話][なんかへこむ話]より少ないのは、問題があると思う。後者は世にはびこる自作自演的な行為を指摘するぜ!と意気込んで作ったカテゴリーなのだが、あんまりそういう行為が世にはびこっていないのか、新古車状態。これはもう少し前に計測していれば、同率首位になりかねなかったぐらい使っていない。


第一位[ラジオ](1回)
このカテゴリーに[これはひどい]をつけたいぐらい、無意味だ。一度ラジオについて書いたときにいずれまた使うだろうということで設けたものだが、自分がかつてのようなラジオのヘビーリスナーではもはやない、ということを勘定に入れ忘れた。ほんと、どこかの村だか街だかの、上からの税金を余らしちゃならんということで造った、だーれも使わない箱物物件のようだ。

もちろんカテゴリーも後から編集できるのだが、編集して意味があるのは、編集する側の整理整頓能力が優れている場合だけであって、もともとこのようにカテゴリーを無残に使い散らかす僕自身がまた編集したとしても大して事態は変わらないだろうということが想像つくので、当分するつもりはない。


さて、カテゴリーを有益に使う人と、僕のように使えない人の違いがあるとすれば、それはものごとの全体を俯瞰して見れるか見れないか、その違いなのだろう。つまり整理整頓が得意かどうか、である。でもそれは、「整理する側」だけの問題でもないのかもしれない。

先の「倉庫の管理人」の例えに戻る。
分類と整理の簡単そうな倉庫とは、いったいどんな倉庫なのかを考えると、それは「もう荷物が増えない倉庫」「入ってくる荷物の種類が予め決められている倉庫」、その二つだ。それはブログだって同じ。すべて書き終わったブログはもちろんのこと、最初からおぼろげながらもそのブログの全体像が掴めている方が、どのようなカテゴリーをつけるかも考えやすい。そうなると、そのブログのコンセプト、いったい何を書くか(例えば旅、ヲタ、ペット、アイドル等)が明確に決まっているそれの方が、断然カテゴライズしやすいことになるのだ。


僕の場合、これはプロフィールで記しているとおり、「書いておかないと個人的にムズムズすることを書」くブログだ。「これ書きたい!」という気持ちは欲望の領分であって、それは僕の中にあるものだが僕の制御下にないものでもある。この倉庫にはいったい何が運ばれてくるのか、そのことは倉庫の管理人の側の僕にも、倉庫に荷物を配達する側の僕にもはっきりとはわからない。もちろん「自分はこういうことがいいたいんだろうな」というのは漠然とはあるが、明確に「俺はこれが言いたい!」と突き止めることは、書いた後にだってできないこともある。さらに、既存のカテゴリーには収まりきらない「何か」を書いてしまう時だってある(だから無駄なカテゴリーが増えてしまうのだ)。もし僕のブログを読んで「カテゴリーの意味ねぇよ」というご批判のある方がいたら、容赦いただきたい。


だから、これは言っておかなければなるまい。僕のブログを読んでくれているあなた、
俺のカテゴリーをむやみに信用するなよ(ぜんぜんかっこよくない)。