ネット上における文章の「お約束」の言い回しとして「オナニー」というものがある。何もそれは陰部を自分で刺激して気持ちよくなるアレそのもののことではない。あるコンテンツについて、受容者を無視した作者の自己満足であることを批判するときに「あの作品は作者のオナニーだ」と使う。ネット上ではその言い回しがいつしか「お約束」になっている。これを僕はあまり使いたくないのだ。
なぜ「オナニー」と文章で書きたくないかというと、下品だから、といった陳腐な理由ではない。何もオナニーなんて書くのが恥ずかしい歳ではない。書くのはいくらでも書ける。はい、オナニーオナニー。
使いたくないのはむしろ、この「オナニー」という比喩が卓越しすぎているからに他ならない。これほど攻撃対象をおちょくり、毒性を保ちつつ、なおもユーモアのある表現があるだろうか。あまりに卓越しすぎていて、自分の書いた文章で「オナニー」を使ったが最後、完全に支配され、「負けた感」を覚えてしまう。だから使いたくないのだ。
レインメーカーがオカダカズチカの技であり、ボマイェは中邑真輔の技である。それらはほかの選手は通常使わない。使うとしたら何か特別な意味があふ。同じように「オナニー」を使わない、使いたくないのは、ぼくにとってその「お約束」が、誰か他人の作った「フィニッシュホールド」だからなのだろう。